見出し画像

『サザンクロス ラプソディー』vol.18

最近麻雀をまったくやらなくなった俺は、休日の日曜日には、家で過ごすことも多くなった。必然的にシェアハウスに住んでいるフランス人たちと話す機会もかなり増えた。

「僕、これ大好き」

俺が作った羊羹に、美味しそうにパクつくのは、大学生のサシャだ。
彼はフランスのルーアン出身で、かなりのイケメンだ。まあ、俺からしたら、欧米人はみんなカッコよく見える。なにしろ鼻が高くほりが深い。

フランスにいたときに、彼の母親が、知り合いの日本人からたびたび和菓子をもらったそうだ。それらのなかでも羊羹が一番好きになったという。

「よかったら、これ一本あげるよ。三本あるから」

「えっ!本当に?ありがとう」

満面の笑みで、俺から受け取った羊羹の包みに、〈sasha〉とマジックで書いて、さっそく冷蔵庫の一番奥にしまった。

同じ大学の彼の恋人、ドイツ人のソフィアは、驚くほどの美人さんだ。スレンダーで出ているところはしっかり主張している。フランス人とドイツ人?歴史的には仲がよかったっけ?そんなことを考える。
ベルリンの壁はこの翌年に崩壊した。西ドイツ出身の彼女は、このときすでに、自由にオーストラリアに来ることができていた。

東側諸国のある国出身のひとりの男性が、新聞のコラムに書いていた記事を、いまでも鮮明に覚えている。
祖国を亡命した彼が、ある日ベジショップに入って、山盛りに積まれた野菜を見たときには、自然と涙がこぼれ落ちたそうだ。

世の中は、こんなに豊かなんだ、とにわかには信じられなかったという。
その当時は、西側諸国に行く機会のあった人びとは例外なく、『どんなものを見聞きしたのか、誰にも話してはいけない』と口止めされていたそうだ。

こちらのベジショップに入ってつくづく思うのだが、同じ種類の野菜が色も形も大きさもバラバラだ。日本の場合は、青果店やスーパーマーケットの野菜はほとんど色も形も揃っている。

こちらに来て最初の頃は、バラバラで変なの、と思っていたが、慣れてくると、これが自然なのかも、と思い始めた。
なにしろ安い。オレンジ色の果肉の大きなメロンなんかでも三ドルしない。半分に切って、スプーンで食べる。

俺はオーストラリアにいる間、フルーツを、これでもかというくらい、よく食べた。オレンジ、グリーンアップル、マンゴー、メロン、キウイ、ピーチなどなどだ。
とにかく小腹が空いたらフルーツを食べていた。
種を避けて半分にスライスしたマンゴーに、果肉の部分に鹿の子の切り目を入れ、皮の部分を指で押して、クルンとさせて花を咲かせ、それにレモンを絞って、スプーンで食べるのが最高にうまかった。



ツグミが久しぶりにオーストラリアにやって来た。今回は、高校時代の親友のタカコを一緒に連れてきた。
タカコは日本で銀行員として七年ほど働き、思うところがあって、ワーキングホリデービザを取得してオーストラリアで暮らし始めるという。

タカコは、本当は空き部屋があれば、ポールのところに住みたかったらしいが、あいにくみんな塞がっていた。
あとからツグミがこっそり俺に教えてくれたが、ポールと一緒に住まれたら、彼女的にはまずかったらしい。
「だって、私の本性バラされたら困るから」と、冗談なのか、本気なのか、とにかくそういって豪快に笑った。

行動力がハンパないツグミは、二日間でタカコの住むところを見つけた。
「あとは、仕事だけだね。ヤマさんのレストランで働けないかな?」と俺に相談してきた。
それで俺は、「ウェイトレスとして雇ってもらえないか」とユキさんに打診してみた。
「いいよ。ヤマの紹介なら」と二つ返事で引き受けてもらえた。

結局、タカコは、ボンダイビーチにも、マンリービーチにも、コアラのいる動物園にも行かず、ほとんどなにもシドニー観光をしないまま、オーストラリアに来てから五日後には、〈garasya〉で働き出した。



休みの朝、俺がボーっとした寝起きの頭をコーヒーで覚ましていると、二階のポールの部屋からツグミが降りてきた。

「おはよう、えらい嬉しそうだね」

ツグミは肌ツヤもよく、顔はニヤけていてまったく締まりがない。

「えへへ、久しぶりだったから」

?......はいはい、そうですか。よかったですね、愛を確かめ合えて。でも、夜中物音ひとつしなかったけどな。そうか、朝方に。

「あーっ、変な想像してるでしょ?」

「変なっていうか、まあ」

「恋人同士なんだからいいでしょ、別に」

「いや、なんもいってないし」

俺とツグミがそんなやり取りをしているとポールが降りてきた。

「日本語は禁止で〜す」俺とツグミに向かって日本語でいう。

仕方がないことだけど、日本人と英語で話すのは違和感以外のなにものでもない。
まあ、俺がいると他の三人のフランス人たちも英語で話してくれるから、それは当たり前のことのように、そうしなければいけないことだけど。

「これから、ポールと私の友だちと一緒に食事に行くんだけど、ヤマさんも来ない?」

日本で子供向けの英会話教室の講師たちに、英語の指導をしているツグミは、本当に流暢で綺麗な英語を話す。発音は完璧だが、それはアメリカンイングリッシュだ。オーストラリアンイングリッシュではない。

「いや、俺は遠慮しておくよ。突然、面識のない俺がお邪魔したら、そのひとも気まずいだろ?」

「いや、実はね。彼女にヤマさんのことを話したのよ。そしたら、ぜひ会って話をしてみたいっていわれたのよ」

「えっ、どういうこと?」

「彼女、ナオミっていうんだけど、ヤマさんのこと知ってるみたい」

「?......」

「とにかく、そんなに深く考えないでいいから、ちょっと食事するだけだからいいでしょ? どうせ暇なんでしょ? 彼女と別れたって聞いたわよ」

......だった。マリコはポールの兄貴のアドンのところにホームステイしていたんだ。そりゃツグミが知っていても不思議じゃない。

「そうだね。可愛い女の子なら、是非ともお近づきになりたいもんですな」

「なにそれ。エロジジイみたいないい方しちゃって」

「ダメダメーっ!日本語ダメでーす」

いつのまにか俺とツグミは日本語で話していた。やはり、日本人同士、気をつけないとすぐにこうなってしまう。

ポールの車に揺られて、シドニー北部の静かなビーチに着いた。ナオミとは、車のなかでお互いに簡単な自己紹介を済ませていた。

食事のまえに、ビーチで日光浴しよう、ということになった。これも予定に入っていたらしい。

ポールはツグミそっちのけで、裸足になると、ズボンの裾を捲り上げて、波打ち際でひとりパシャパシャやってはしゃいでいる。「子供かっ!」とつい突っ込みたくなる。
前に、聞いたことがあるが、ポールはマリンスポーツが大好きで、一度ゴールドコーストからシドニーまで、ウィンドサーフィンで何日かかけて沿岸部を南下したそうだ。

ツグミはナオミと一緒に、白い砂浜の上にビーチタオルを敷いて並んで座ると、突然服を脱ぎ出した。

俺が目を点にして凝視していると、「安心して、水着着てるから」そういってナオミと顔を見合わせてクスッと笑っている。
二人ともあらかじめ水着を着ていたのだ。
ああ、そうですよ。俺はどうしようもないどスケベですよ。

「ヤマさん、背中に塗ってくれない」

ツグミは俺にチューブ状のものを渡すと背中を向けた。

「なに? サンオイル?」

「まさか。日焼け止めだよ。この美しい白い肌、焼くわけないでしょ。将来、シミだらけのババアになんかなりたくないし」

「そんなのポールに頼めばいいのに」

「だって......オーストラリアにいて、日焼けを気にするなんて馬鹿げている、とポールはすぐにいい出すし、そうなるといつもの口喧嘩になるもの」

ツグミはチラッとポールを見やると、ボソリとつぶやいた。
ポールは、ウィンドサーフィンをやっている若者たちと、なにやら真剣に話し込んでいる。

まったく、これで愛し合っているんだから、二人はよほど深いところで繋がっているんだろう。

「はいはい、これでいいかな」

紗季にもこうやって塗ってやったな。紗季、元気にしているかな?新しい恋人ができてたらいいんだけどな。
俺はオーストラリアに来るまえに別れた、元カノのことを思い出していた。

「ありがと、ヤマさん。塗るの上手いね。思わずイキそうになったわ」

ツグミはそういって、ケタケタ笑っている。

おいツグミ、いい加減にしろよ。
こいつときたら、人並み以上の可愛い顔をしているのに、聞いた人がドン引きするような下ネタを平気でぶっ込む。
この前なんか、朝っぱらから妙にはしゃいだ声で、「あーっ、バナナチョコレートパフェよかったあ」と突然いい出した。

俺はツグミがなにをいっているのか、まったくわからなかった。
美味しかったのか? 夜に食ったのか? 朝に食ったのか? よかったって......と不思議そうな顔をして首を傾げている俺に、ツグミがサラリと説明してくれたのを聞いて、納得した。ラテン系はそっちが好きだと聞いたことがあったからだ。

「ナオミにもやってあげたら?」

そういわれて、ナオミは恥ずかしそうに俯いた。

「塗りましょうか?」

俺はスケベゴコロなんてこれっぽっちもありませんから。言葉にしないけど。

「ヤマさんがよかったら」

寝そべった彼女の背中に、日焼け止めを満遍なく塗っていく。綺麗な背中だ。シミひとつない。
日本人は、一様に肌が綺麗だ。

俺の指先は絵画を描くように彼女の背中、太ももへと滑っていく、なんちゃって。
実際のところ、彼女の締まったキュートなお尻を見たときには、少しだけエッチな気分になった。

小一時間ほどビーチで過ごしたあと、俺たちは予約してあったレストランに入った。
木造りであることを全面に打ち出した結構有名なところだった。

二階のテラスでテーブル席を四人で囲みながら、手すりに並んで止まっているかなりの数の、色鮮やかなレインボーロリキートというインコの一種が気になってしょうがない。

やつらは、まったく警戒心がないらしく、人間さまが近くにいるのに、餌でも待っているのか、それとも俺たちを観察しているのか、おしゃべりしながら、その冷たい目で俺たちをじっーと見ている。

料理が運ばれてきた。

ポールとツグミは自分たちが頼んだものを少しずつ分け合って食べている。
こんな様子を見ると本当に仲がいいんだな、と思う。
口喧嘩をしているときとのギャップが大きすぎるんだよ。

だから日本人は、だからフランス人は、とまるで自分たちが国の代表みたいにいい争うが、それはあんたたち個人の問題であって、人種の特性とはなんら関係もないんだよ、と俺はその度に思うのだ。

ツグミは俺と同じ日本人だから、「ねえ、そうでしょう?」とすぐ俺に同意を求めてくるが、返事に困る俺の気持ちもわかって欲しい。
そんなときには、「あ、やることがあったんだ」といって、俺はその場を逃げ出すことにしている。

「ほらね。日本人は、いつもこうやって議論に参加しないで、曖昧にする」

幼い頃から、自分の意見を持ち、発言し、納得のいくまで議論することを良しとする、フランス人教育で育ったポールのそんな言葉が、俺の背中に浴びせかけられる。
俺は聞こえないフリをして、スタコラサッサ、その場を逃げ出すのだ。

「美味しいね」

そう俺に微笑みかけるナオミは、俺よりも少しだけ背が低いくらいの、女性にしてはかなりの長身だ。スレンダーボディに黒髪のショートカットがよく似合う。モデルをやっているといわれても疑わないだろう。

「うん、美味しいね」

ポールとツグミのイチャイチャぶりに当てられっぱなしの俺とナオミは、たわいもない会話を続けていた。

傍らでおしゃべりしているレインボーロリキートたちが『オイ、おまえら。なにやってるんだ?生きるってことは、愛を高らかに歌い上げることなんだよ。知らないのか?』なんてことは、いっていないだろうが、相変わらず冷たい目で俺とナオミを見ていた。



俺はナオミが暮らしているフラットに来ていた。
驚いたことに俺の勤める店のすぐ近くだった。

ツグミがいっていた、「ナオミは俺のことを知っているらしい」というのは、つまりはこういうことだった。

ある日ナオミは、テレビのスペシャルドラマで、俺の顔のアップのシーンをみた。その翌日に俺を見かけたという。
それで覚えていたそうだ。

ツグミから、自分のところに住んでいる日本人が、エキストラの仕事をしていて、ナオミの住んでいるフラットの近くの店で働いていると聞いて、それでもしかしたらと思ったそうだ。

今日は俺がナオミに料理を振る舞った。簡単なものだったが、「超、美味しい」といって喜んでくれた。

食事もひととおり終わり、コーヒーを飲みながら、ソファに並んで座る。

『さあ、それではこちらもいただこうかな』

マリコと別れて、そっちの方はとんとご無沙汰していた俺が、よからぬことを考えて、ナオミの腰に手を回そうとしたそのときだった。

「ちょっと、やめてよっ!」

ナオミは両手で突くように俺の胸を押しやった。
さっきまでの微笑みはすっかり影を潜め、カッと見開いた目は怖いくらいだった。『おー、怖っ!』

「ごめん......」

そのあまりの迫力に、俺は思わず目を逸らして、謝罪のことばを口にしていた。

はっきりいって俺は面食らっていた。
だって、だって......「会えませんか?」って、連絡してきたのはナオミだし、食事も作ったし、ふたりきりだし、さっきまではかなりイケてる雰囲気だったのに。

「そんなつもりはまったくないから。期待させたのならごめんなさい」

今度は、落ち着いた、優しい口調でそういった。

「いや、俺が悪い。......じゃあ、俺そろそろ帰るから」

気まずい雰囲気に居た堪れなくなって、腰を上げる。

「ダメ、帰らないで。実は相談したいことがあって」

ナオミは立ち上がって帰ろうとした俺の手を引いて、またソファに座るようにうながした。

「?......」

これってなにかのプレイ? 俺がそう訝しんでいると、ナオミは俺に向き直り、その相談事というのを切り出した。

ナオミの話はこうだった。


〈続く〉


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、まったく内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1988年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

よろしければ コメントお願いします。短くてかまいません。頂いたサポートは大切に使わせていただきます。