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『サザンクロス ラプソディー』vol.16

「ヤマさん、シーフード天ぷら五人前お願いします」

「えっ!五人前?同じテーブルの注文?」

「そうです。前菜なしのメインだけの注文なので、すぐにお願いします」

オーストラリア人ウェイトレスのシャーロットが、流暢な日本語でオーダーを通してきた。
簡単に五人前っていうけどさ、全部で何本何枚、個数にしていくつになると思ってるんだよ。百個以上だぞ。
宴会用などに出すのに下準備を予め済ませているのなら、さほど苦労もしないのだろうが、ここは町場の小さなレストランだ。
まあ、ぼやいていてもしょうがない。やりますよ、喜んで!

「よっ!人気者。それに比べて、俺の人気のないこと。あーひまだなぁ」 

焼き場担当の村岡さんが、ニヤニヤしながら茶々を入れてくる。

「いや〜モテて、モテて、泣きたいくらいですよ」

そんなにひまなら、少しくらい手伝ってくれても良さそうなものだが、そんな気はさらさらないらしい。

「ヤマさん、なにか手伝うことはありませんか?」

キッチンハンドのアツシが声をかけてくれる。

「ありがとう、けど大丈夫、ひとりでやるよ」

「ヤマ、魚」

天ぷら用の魚の切り身を、寿司職人の加茂下さんが手渡してくれる。 心なしか、加茂下さんの口元も笑いを堪えているのか、少し綻んでいる。

それもそのはず、こんなオーダーが通ったのは後にも先にもこのときだけだった。
前菜なしのメインだけのオーダーというのが、ディナーの時間帯にはそもそも珍しい。

俺がユキさんの申し出に甘えさせてもらうことにして、前のレストランと同じ地区にあるユキさん経営の和食レストラン〈garasya〉で働き出してから、もうすでにひと月が経っていた。

「お客様がヤマさんとお話ししたいそうです」

シャーロットにそういわれて厨房を出ると、シーフード天ぷらを注文した家族連れが会計をしていた。その五人組のなかのひとりの少女が話しかけてきた。

「これ、どうぞ」

彼女はそういって一枚の色紙を俺に手渡した。
『おいしかったです。ありがとう』
達筆ではなかったが、味のある文字が並んでいた。

俺の調理師人生で、このようなものをもらったのは初めてのことだった。嬉しかった。

「ありがとうございます」

俺は、恥ずかしさもあり、短くぶっきらぼうにそういって、ペコリと頭を下げ、そそくさと厨房のなかへ逃げ込んだ。

「おっ、さすが人気者っ!」

俺が手にしている色紙を覗き込みながら、村岡さんは冷やかすようにいった。
しつこいよ、村岡さん。

日本に留学経験のある高校生のシャーロットによると、その彼女も同じく日本に留学したことがある高校生で、そのときに天ぷらを大好きになったという。

このとき、彼女がなぜ色紙を持っていたのかはまったくの謎だった。
俺はしばらくその色紙をお守りのように後生大事にしていたが、いつのまにかなくなっていた。
犯人が誰なのかは朧げながら分かってはいる。



新しい職場には、すぐに溶け込めた。
物腰の柔らかい寿司職人の加茂下さんが、俺に天ぷらのことを、何から何まで一から教えてくれた。
先輩の料理人が、店に入ってすぐの後輩料理人に、自分の会得している技を、惜しげもなく教えてくれることなど、日本では考えられない。
異国の地、それもオーストラリアならではのことだろう。
一度、教わった通りに揚げて見せたら、「ヤマなら大丈夫だろう。ここは任せたからな」といってもらえた。
とりあえず、一安心だ。

高知出身の村岡さんは、加茂下さんと同じく生粋の和食料理人だ。奥さんと二人でこの地に来ている。
たまに、本場の鰹のたたきを賄いに振舞ってくれる。生にんにくのスライスがたっぷり添えられていて、旨い。
ただ、ホールの従業員はにんにくそのものは食べない。お客様への配慮のためだ。
「うーん、にんにく抜きだと美味しさは半減するんだけどな」と村岡さんはその度に渋い顔をする。
その風貌は、どことなくタスマニアデビルに似ている。愛嬌はあるのだが、底知れない不気味さも漂わせている。怒らせたら怖いぞ、的な。

日本人従業員のみならず、ホール担当のオーストラリア人たちも、賄いを本当に楽しみにしていた。
シャーロットも天ぷらが大のお気に入りで、しばらく賄いに出ないと、「私がいないときに賄いに出さないで。お願いします」とショートカットの金髪に、透き通った青い瞳で、俺をみつめて懇願する。
まあ、可愛いこと。
ただ純粋にそう思っているだけで、邪な考えなどはない、と思う。



休みの日に久しぶりに花時計に顔を出した。
キヨさんとユイちゃんはいなかった。
店を任せられたという、三十代前半の夫婦が忙しく働いていた。どういうわけか、会ったこともないのに、「ヤマさんですよね?」と訊かれた。ユイちゃんと仲良くやっているんだろうか?などと考えながら、夜の帳が下りたキングスクロスのメインストリートを歩く。

ここを離れて、たった二ヶ月ほどしか経っていないのに、あれからずいぶん月日が流れたような気がする。
思えばここでは色んなことがあった。
日本人の経営するクラブで働き、そこで出会ったイブと恋に落ち、ワーキングホリデービザが切れかかったとき、彼女が婚約ビザを申請してくれた。
そして、イブと別れたあと、婚約ビザの申請が取り消されたため、日本に帰らなければならなくなった俺に、ユキさんが力を貸してくれた。

出会った人々の多くの助けと、幾つもの幸運が重なって、俺は今もここにいる。

ストリップ劇場の前で、明らかに日本人と思われる四、五人の集団が呼び込みと何やら話し込んでいた。
おおかた値段の交渉でもしているのだろう、とその前を避けて通り過ぎようとして、ふとその呼び込みの男に目をやった瞬間、
「アキオさん?」
俺は思わずそう口にしていた。

「ヤマさん、久しぶり......」

頭をポリポリと掻きながら、照れ笑いを浮かべて、アキオさんはその日本人たちをほっぽり出して俺に歩み寄った。

「なにやってるんですか?アキオさん」

「見ての通り、呼び込みだよ」

「あの仕事は?」

俺が一時期アキオさんと一緒にやっていた、コアラのいる動物園で、日本から来た観光客がコアラを抱いている写真を撮って、それをテレフォンカードにして売っていた、あの仕事のことだ。

「あれね、ちょっと問題が起きちゃって、それで辞めたんだよ」

「そうなんですね。それでいつからこの仕事を?」

「まだ始めて二週間くらいかな」

「それで、実入りは良いんですか?」

「あんまり、良くないよ。客を入れた分の二割をもらえるだけだから」

俺は煙草をアキオさんにすすめ、オイルライターで火をつける。
アキオさんは目を細めて旨そうに煙草の煙を吸い込むと、ため息混じりにフーッと吐き出した。
紫煙はキングスクロスの煌びやかなネオンの光のなかを漂って行く。

「お疲れみたいですね」

「まあ、ちょっと疲れちゃったかな」

「らしくないですね」

アキオさんは、俺よりかなり年上の四十代だ。
けれど、そこら辺の若者に負けないくらいの活力に溢れ、俺なんかよりも元気だった。

「ここ、オーストラリアは好きなんだけどさ。前の仕事を辞めてからは、この年だと色んなことで制限が多くてね」

アキオさんは、ビザのことをいっているんだろう、と俺は察した。

「そうだ。ヤマさん、なんかいい仕事知らない?」

アキオさんにそういわれて、キッチンハンドのアツシが、ゴールドコーストに行くので店を辞める、といっていたのを思い出した。

「俺が今働いている店のキッチンハンドの仕事なら紹介できますけど」

「お願いします、ヤマさん」

「キッチンハンドですよ。本当にいいんですか?」

そう念押しした俺に、
「ぜひともお願いします」とアキオさんはかなり乗り気で、翌々日にはユキさんの面接を受け、その翌日には、働き出していた。
相変わらずの行動力だ。

アキオさんの不思議なところは、誰とでもすぐに打ち解けられるところだ。
働き出して一週間ほど経った頃には、アキオさんは、ここにもう何年もいる古株のように店に馴染んでいた。
年齢も四十代ということもあって、みんなからは、お父さんと呼ばれるようになっていた。
当の本人は、そう呼ばれる度に「お父さんねえ......」まだ若いんだけど、とでもいいたそうに苦笑している。
不器用ですから、という言葉が似合いそうな、昭和の映画スターのような風貌の、肌が浅黒いおじさんだ。



キッチンハンドのアツシが店を去ってからすぐに、アキオさんが加茂下さんと麻雀の話で盛り上がり、俺、加茂下さん、村岡さん、アキオさんの四人で麻雀をやることになった。
加茂下さんが、麻雀セットを一式持っているからやろう、といい出したのだ。

土曜日の夜、仕事帰りに加茂下さんの家にお邪魔すると、奥さんは嫌な顔ひとつ見せず、「ゆっくり楽しんで下さいね」といってくれた。
奥さんも仕事から帰ったばかりで疲れているのにも関わらず、食べ物やら、飲み物やら、色々ともてなしてくれた。
ありがたいことだ。

俺は日本で麻雀をやったことが一度もなかった。
働いていたレストランのオーナーが雀荘を経営していたこともあって、何度か誘われたこともあったが、その頃は博打よりも料理に夢中で、他のことにはまったく興味がなかった。

だから、ルールも何も知らない。

他の面子の三人が手取り足取り教えてくれた。
といえば聞こえはいいが、実際は鴨がネギ背負ってやって来た、みたいなものだった。

「はい、ヤマ。それチョンボ。満貫払いな」

チョンボ?満貫払い?
初めて聞く言葉ばかりで、知らないものを初めて知る新鮮さを通り越して、またなにかやらかしてしまうんじゃないか、という恐怖心ばかりが先に立った。
結果はもちろん俺のひとり負けだ。
こと麻雀に関していえば、ビギナーズラックなんてまったく存在しない。強い者が勝つ。
初心者はただカモられるだけだ。カモさん、おいでカモーン状態だ。

それでも、職場の付き合いでもあったし、知らないことに関しては、とりあえず飽きるまではやってみる俺の性格が災いして、見事にハマった。

麻雀がしばしば人生に例えられることは知ってはいたが、まさにその通りだと思った。
配られた牌は、自分の生まれ落ちた環境。そのなかで自分の理想とする上がりを目指すために、取捨選択を繰り返し、これで良いと思ったときに、勝負に出る。
あとは、本当に運次第。吉と出るか凶と出るかは、そのときの状況次第なのだ。

過去に同じような手で良い結果が出ていたとしても、何度も思ったような結果が出るとは限らない。

面白い。

面白いが、なかなか簡単には勝てない。けれど、今度こそは勝てるだろう、と甘い考えで懲りずにまたやる。
こうやって人はギャンブルにハマっていくのだろう。



「村岡さん?えっ、寝てる?」 

目を見開いてはいるのだが、麻雀牌を手にしたまま、村岡さんは微動だにしない。
加茂下さんは、村岡さんの顔の前で右手をヒラヒラさせている。けれど、まったく反応がない。
タスマニデビルが、前足に食べ物を捕らえて、身動きひとつしない様子を思い浮かべる。笑える。そんなことはあり得ないだろうが。

そんなに眠たかったんだ。それでも、麻雀はやりたかったんですね。家に帰りたくなかったんですね。
村岡さん、最近奥さんが怖いって、愚痴を溢されてましたもんね。

そんなことを俺が考えていたら、アキオさんに左肩を叩かれた村岡さんが、
「ああ、寝てた?」
突然、たった今タイムリープから戻ってきたみたいに動き出した。そして、手にしていた牌を河に無造作に捨てた。

「ロン!」

加茂下さんが、ケッケッケッと不気味な笑い声をあげながら、「役満でっす」と満面の笑みだ。
村岡さんは、悲しそうに点棒に手をかけた。

手堅く上がる加茂下さん、一発をひたすら狙う村岡さん、臨機応変そつなく立ちまわるアキオさん。三人三様の打ち手が揃っている。
もちろん俺は鴨ネギ、高い勉強代を払い続けていた。



タウンホールの地下鉄の改札口で、久しぶりにマリコと待ち合わせた。
俺が徹夜麻雀明けのぼーっとした目でマリコを探していると、先に俺に気づいた彼女は、小走りに駆け寄って来た。

小柄な身体の背中まで伸びたソバージュの黒髪が揺れる。

「探しちゃった。どこにいたの?」

「ごめん、遅くなって」

すでに待ち合わせの時間を十五分ほど過ぎていた。

「目が赤いけど、寝不足?」

「いや、さっき目が痒くて掻いちゃったから」

本当は嘘だ。

朝八時過ぎに家に帰った俺は、一時間ほど仮眠をとって、急いでシャワーを浴び、あわてて服を選び、それから電車に乗って駆けつけたのだ。

久しぶりのマリコとのデートも、眠気の方が勝って、レストランで話しかけられても生返事を繰り返し、映画館では爆睡し、俺の部屋に来たがったマリコを冷たく追い返してしまった。
街なかで別れたので、日本人の俺たちは、もちろんお別れのキスもなしだ。
だって、眠たかったんだもん。ごめんマリコ。

俺のこのマリコに対する一連の対応が、このあと、とんでもない事態を引き起こすことになる。

〈続く〉

        *

追記

皆さま、お久しぶりです。

昨年、2022年1月31日の記事が、前回最後の投稿でした。
何のお知らせをすることもなく、突然記事の投稿を止めてしまい、私の作品にスキ、コメントをいただいていた皆さま。また、私の作品を楽しみにしていて下さった皆さま。
誠に申し訳ありませんでした。

また、長らく休眠していた私へのフォローを外すことなく、そのままにしていて下さった皆さま。私の過去記事にスキをつけて下さった皆さま。
本当にありがとうございました。

この一年四ヶ月の間、私はこれまでの人生のなかで、過去一番に、集中して読書をし、映画・ドラマ・アニメを観て、心を動かされ、好きな音楽に浸って、毎日を過ごしていました。

そして、『物語を紡いでみたい』という気持ちが、また溢れ出してきました。

週に一記事のペースで、また作品を投稿していきたいと思います。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。

2023年5月23日 
    鯱 寿典




ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
話は続きますが、不定期更新なので、
次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承下さい。

尚、全く内容の違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承下さい。

今回のこの作品は、1988年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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