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『サザンクロス ラプソディー』vol 10

オーナーのユキさんが料理長をやり始めたことに伴い、それまでいたオーストラリア人の料理人たちは皆辞めていった。

何故なのかは明白で、彼らは前のフランス人料理長の下で、将来の為に経験を積みたかったからだ。

ブルーマウンテンズ近くの田舎町からシドニーに出てきて、そのためだけにこの店で働いていた調理師見習いのマークは、勤め最後の日にキングスクロスで俺をパブに誘った。

「ヤマはまだあの店に居るのか?」

「ああ、まだ働きだして間もないし、さしあたってはそのつもりだ」

「日本人で良かったな」

「どういう意味だ」

「オーナーが日本人だからな」

「なんだ、まだ働きたかったのか?勉強になんないのに?」

「田舎に一度帰ってしまえば、シドニーで仕事を探すなんてこと、そう簡単には出来ないからな」

そういってマークは寂しそうに作り笑いを浮かべた。

若いうちは都会で働いてみたい。そういう気持ちを持つのは、きっとどこの国の若者でも同じなのだろうと思う。
特に田舎出身の人間にとっては。

「今夜は俺の奢りだ」

俺はそういってマークに酔いつぶれて動けなくなるまでビールをご馳走した。

「ヤマ!酔っ払いはこの部屋には住めませんから」

その夜、ぐでんぐでんで帰ってきた俺に、イブはそういって臭そうに鼻を摘まんだ。

俺がマークのことを話すと
「それじゃしょうがないけど、わたしは酔っぱらいは嫌いだからね。二度とこういうことのないようにね」と釘を刺された。



レストランには早急に人員を補充しなければならなかった。

ユキさんは、厨房に新しい人員として男ばかり、4人の日本人を入れた。

この頃は、人員確保にはまったく苦労しなかった。街を歩けばワーホリに当たる。そういわれるくらいにリュックを背負った日本人がいっぱいこちらに来ていた。

彼らは、20歳前後のワーキングホリデービザでこちらに来ている料理未経験者ばかり。

「彼がこの厨房を取り仕切る、山神くんだ」

『取り仕切るって、おいおい、何にも聞いてないよ。まあ、こうなるだろうとは思っていたけれど』

俺はユキさんのその言葉に、ひとりぼやいていた。

結局、調理師免許を持っていて、婚約者ビザでオーストラリアに滞在している俺が、料理長ユキさんの下で、実質、厨房を回すことになった。

とはいっても、俺はあと何ヵ月かの間にイブと結婚できなければ、日本に帰らなければならない。
なにしろ、婚約者ビザは結婚前提のビザだ。

そして、彼らは順番に自己紹介を始めた。

みんな何かにつけてマウンティングしたがる年頃だ。

特に大学生だと、休学してこちらに来ている連中も多く、特にそうだ。

大学のランクでもそうだし、英語がどれだけ話せるかとか、いろんな要素を含めて対抗意識バチバチだ。

その中のひとりが俺に訊いた。

「ヤマさんは、ワーホリですか?」

「いや、婚約者ビザだよ。ワーキングホリデービザから3ヶ月前に変えたんだ」

「すげーっ!ということは彼女さんは、外人さん?」

「そうだよ」

「いいですね。金髪なんですか?」

「ああ、そうだよ」

『何でそこを気にする』俺は心の中で苦笑しながら投げやりに答える。

「羨ましいんですけど......」

俺も以前までは、この彼と似たような考えで、金髪カッケーとか思っていたが、今はそうでもない。

イブ自身が「金髪だと頭の中身が空っぽに見えるから、黒髪がいい」としきりにいっていたこともあった。

そういいながらも、イブは「自分には似合わないから」と黒髪に染めることなど決してなかったが。

「このオーダーが入ったら、これとこれを準備してここに置く」

「仕入れてきた食材は、こうやって下準備をしてここにしまっておく」

「古いものは必ず手前か、上に置く。使うのは兄貴が先」

厨房では先入れ、先出しが基本。
古いものは兄貴、新しいものは弟と呼ぶ。弟ということばを使うこと自体はあまりないが。

店を3日間閉めて、俺とユキさんで厨房の連中のトレーニングを行った。

料理も作らせてみて、どれくらい出来るのかも確かめる。

俺を含め年齢はみんな似たようなもの、それでも一応のポジション決めはしないといけない。

若い連中、しかも、同じワーホリだ。誰も一番下のポジション、つまり、俺が以前までやっていた皿洗いなどはやりたくない。

もちろん時給が同じにも関わらずだ。

かといって、料理がまともに出来るわけでもない。

ユキさんとふたりで本当に頭を悩ませた。

「山神くん、君の意見はどうなの?」

「そうですね。どうでしょう、1週間交替でとりあえずすべてのポジションをやってもらって、それから、決めるっていうのは?」

「けど、それだと、その度ごとに全員に教えないといけないんだよ。山神くん、君に出来る?」

「やりますよ。もめ事は嫌いなんで、みんなに平等であるべきだと思います」

みんな一緒に、よーいドンのスタートでなければこんなに苦労することもなかったのだが。
先に働いている者がいれば、空いたポジションだけ埋めればいいからだ。

こうして、新生フレンチジャパニーズレストランは本格的にスタートした。

俺は、ユキさんの考えたメニューに沿って料理を作る。

しかし、以前のシェフの料理をお目当てにこのレストランにやって来た客たちの足は、次第に遠のいていった。

なにしろ、巷で話題のフランス料理を堪能しようと思ってやって来たら、何やら様子が違う。

それはそうだろう。料理長が違うのだから。

俺は、以前のフランス人料理長の下では、まともに料理などの勉強もできなかった。

もちろん一緒に働いた期間が三か月と短かったこともあったが、それに加え、ポジションはキッチンハンドだ。

出来あがったものや料理を作る過程は、ちらりちらりと盗み見た。

しかし、皿洗いをしながらだと、狭いキッチンの中だとはいいながらも、料理を作っているところにはいつも背中を向けている。

手を止めて見ていると「なに見てるんだ」と怒号が飛んでくる。

ソースを作った鍋などは、味見をしようとしても、水で1度軽く濯がれて渡される。

ソースの味を知らなければ、それに近いものをまず作りようがない。

まあ、旨ければそれでいいのだろうが。

それでも、日本人が美味しいと思う味つけと現地人が美味しいと感じる味つけにはかなりの違いがあった。

日本人はオーストラリア人と比べて旨味を感じ過ぎるのだ。つまり、薄味なのだ。

たまに、自分でメニューを考えてよとユキさんにいわれるのだが、なにしろ、30年以上前のことだ。

今みたいに、インターネットでサクッと検索なんて出来るわけもない。

フランス料理の修行なんぞ、それこそ丁稚扱いで、何ヵ月かしかやったことがない俺には、本格的なフランス料理を作れといわれても、それは端から無理な相談だった。

「ロシア料理はダメですか?」と、ユキさんに一度訊いたことがある。

「えっ、ロシア料理?ダメだよ、フランス料理だから」

そう驚いたように吐き捨てられた。

まあ、それはそうでしょうけど。

「元々、フランス料理のオードブルは、ロシア料理のスタイルを真似したものだって知ってます?」といいたかったが、お口にチャックでそれ以上は何もいわなかった。

とにかく、作り方を教えてくれればそれなりのものは作れる自信はあった。

しかし、ユキさんは日本料理の職人だ。いくら腕のいい料理人でも、本を見て、真似をしてすぐに本格的なフランス料理などを作れるわけがない。
結局、かなり和食よりの料理になってしまった。

メインのソース類はほとんどが醤油ベース、味噌ベース。

それでも、意外なことに、長年オーストラリアで飲食店を構えて来ただけあって、ユキさんは現地人がどういうものを美味しいと思うのかをよく知っていた。

大盛況とまではいかないが、売り上げは若干上向いた。

幾らかもめごとや喧嘩もあったが、1か月も経てば、厨房の中のポジションも落ち着いた。

俺も若かったが、若い連中の間を取り持つのは本当に骨が折れた。
あちらを立てれば、こちらが立たず。どちらの言い分にも理解できることが多かっただけに本当に疲れた。

そんな中、やはり売り上げが少しでも多く欲しいユキさんは、キッチンのとなりにある20人ほど座れる個室を日本人向けの麻雀ルームに作り替えた。

そこで、それ専用のメニューが追加された。ラーメン、チャンポンなどの麺類や、かつ丼、鰻丼などの丼物だ。

というわけで、キッチンの中では、フランス料理を作っている同じガスレンジのとなりで、ちゃんぽんやラーメンを作っているという光景が当たり前のように見られた。

今思い出しても、何ともはや凄まじい光景だ。

麻雀ルームのオーダーのちゃんぽんの近くで、フランス料理のディナー客のデザートのマンゴータルトが持っていかれるのを待っている。

このマンゴータルトは俺が唯一考案したもので、予め下焼きしておいたタルト生地に、温かいカスタードクリームをつめて、その上にスライスしたマンゴーを見た目よく並べ、オーブンで焼く。

温かいカスタードクリームというのが一つ目のポイントだ。

グラニュー糖と水で、シュクレ・フィレという飴飾りを作る。

この残りに生クリームを加え、キャラメルソースを作る。

作り置きをしない。オーダーが入る度にその都度作る。

皿に盛り付けた焼きあがったタルトの上に、キャラメルソースをたっぷりとかけ、クレーム・アングレーズと、小さめのパイの器に入れたバニラアイスを添える。

そして、先に作っておいたシュクレ・フィレをタルトの上に飾り、ミントの葉をそっと散らす。

すこし固めのキャラメルソースというのが二つ目のポイントだ。

このマンゴータルトはかなりの評判を呼んだ。

これだけを目当てに来る客もいたほどだ。

ちゃんぽんとマンゴータルトが並んだ、あんな光景を見ることはもう二度とないだろう。
今思い出しても笑える。


そうこうしているうちに、麻雀ルームの売り上げが伸びてきた。

ユキさんは根っからの商売人だ。ここ、と思ったら、迷うことなく勝負をかける。

この時点で、俺はもう何が何だか訳がわからなくなっていた。

フランス料理の店に働きに来た。
キッチンハンドとして、毎日こまねずみのように働いた。
英語も仕事で使えて勉強なる。
そう思ったのも束の間、いつの間にか麻雀ルームがあるフランス料理店で働いている。
しかも、麺類、丼物も作っている。なんだこれは?......。

まあ、人生、何れにしても面白い方がいい。俺は基本的には、何にでも順応できる。

人生って山あり、谷あり、そして、予期せぬところに落とし穴がある。

まるで、ビックリ箱だ。
開けてみるまで何がでるのかわからない。



俺がクラブを辞めて新しい職場で働きだしてから、早くも4ヶ月が経っていた。最近では、イブと一緒に過ごす時間はほとんど持てなくなっていた。

なにしろ、朝8時半には家を出て、帰ってくるのは午前0時前。
仕事は9時半から10時半、その間の休憩が賄いの食事時間を含めて3時間。
休みは週に一度。この店は年中無休だった。俺が休みの日はユキさんがやる。

イブの生活のリズムの中から、俺という存在はいつの間にか消滅していた。

「日本人って、本当にワーカホリックだよね」

毎日、長時間働き続ける俺に、そういって揶揄するイブに、俺は苦しい言い訳をする。

「いや、料理の仕事をやってる連中はみんなこんなもんだって。なにも、日本人に限ったことじゃない」

「これじゃ、自分の人生を楽しむ時間があるわけないよね」

「料理人は仕事が楽しみなんだ」

俺はそういいながらも、最近俺が作っている料理がちらりと頭をかすめた。

俺は果たして料理を作ることを楽しめているのだろうか?

「じゃあ、妻はどうするの?たまの休みの日だけ夫と過ごすの?違うよね!ヤマは、休みの日はゆっくりさせてくれって、わたしとどこかに出かけようとしないじゃない!」

確かにそうだった。前のクラブの仕事のときは、職場も歩いて10分のところ。仕事のための拘束時間なんて8時間。ありあまる時間をイブと一緒に過ごした。

そりゃ、どこかの金持ちみたいな贅沢は出来ないけれど、ふたりの時間を誰にも邪魔されずに過ごせるだけで充分だった。

1ドルのチョコレートバーをはんぶんこするだけで幸せだったんだ。

いまは、通勤休憩時間も含めて、15時間。イブとどこかへ行く暇なんてまったくない。

休みの日なんて、どこにも行かず家でゴロゴロしたい。

しかも、イブは趣味で始めた写真にこのところかなり熱が入っているようだった。

ひとりでそのためにあちらこちらへ出かけていた。

「こんなんじゃ。結婚なんて無理かもね」

このとき、俺は初めてイブからこの言葉を聞いた。

そうだった、俺は大事なことを忘れていた。

イブに婚約者ビザをお願いしたのはふたりの将来を夢みたからだった。もっとも明確な将来への青写真などはなく、お互いにまだ一緒に居たい気持ちの方が強かったが。

最近では、朝食を一緒に食べるくらいで、ふたりで過ごす時間は寝ているとき以外はほとんど失くなっていた。


「お帰り、ヤマ。ちょっと話があるんだけど」

「何?」

「あのね、婚約者ビザの申請を取り下げようと思っているの」

「えっ!......」

仕事を終え、疲れきって家に帰り着いた俺に、イブは神妙な面持ちでそう切り出した。

「わたし、オーストラリアを出てロンドンに行きたいんだ。写真の勉強をしたいんだ」

「......」

「だから、ヤマには悪いけど、もう一緒にいられない」

「それでいつ、行くんだ?」

「ハッキリとは決まってないけど2、3か月後くらい」

「何の相談もなかったよね?」

「相談?いま話してるよね?」

「だから、行っていいとか、悪いとかの......」

「わたしの人生だよね?」

「だって、婚約者ビザを申請してくれたじゃん」

「確かにそうだけど、あれはまだ一緒に居たかったから」

「もう、そうじゃないってことなんだね?」

「だってこんな毎日だったら、ふたりで暮らしていく意味なんてないよね?」

俺はちょっと待ってくれ、と手でイブにジェスチャーをすると、しばらく考え込んだ。

確かにそういわれてみればそうだった。ふたりでの生活が楽しめないのに、一緒にいる理由なんてない。しかも、イブは自分が本当にやりたいことを見つけてしまっている。

俺がどんなにイブを好きでも、そんなことは彼女にとってはまったく関係のないことだ。

女性は一度心が離れたら、恋愛関係はそこで終わる。

どんなに繋ぎ止めようとしても無駄なことだ。

イブのそのことばには強い決意が表れていた。

そして、俺は確認するようにイブに訊ねた。

「じゃあ、あと2、3か月は一緒にいられるんだね」

「多分無理だと思う」

イブのそのことば通り、婚約者ビザの申請取り下げを手続きしてから、すぐに役所から連絡があり、2週間の間に日本に帰ってくれと伝えられた。

俺は事前に相談をしてくれなかったイブに対して腹を立てたが、まあしょうがないことだと諦めた。

イブはまだ20歳。今のこんな俺との将来なんか夢に描けるわけもなかった。

正直いって未練はあった。
しかし、イブの人生は彼女のもので、俺のものじゃない。
俺は、日本に帰ることにした。

「婚約者ビザがダメになったので、日本に帰ります」とユキさんに伝えた。

「今辞められたら困るから」

ユキさんはそういうと、俺の担当の役所の職員に掛け合ってくれて、色々な手続きをしてくれた。

結局、俺は、必要になるかもしれない、と日本から持参して来ていた「調理師免許証」を使って、テンポラリービザの申請ができた。

ただ、申請には新しい住所が必要になり、キングスクロスにフラットを借りた。

イブと暮らす前にしばらく住んでいた場所に空き部屋があったのでそこに移ることにした。

ワーキングホリデービザから婚約者ビザ、そして、テンポラリーレジデンスビザを、日本に一度も帰らずに取得できた。

「こんなケースは初めて聞いた。山神は、ラッキーだな。これからもよろしくな」

「けど、申請を受け付けてくれただけですけど」

「大丈夫だと思うよ。可能性がないのなら、端から受け付けないから」

そういって、ユキさんはガハハと豪快に笑った。

イブとの別れは、味も素っ気もないものだった。

「じゃあ、ヤマ。元気でね」

イブは、俺にそれだけいうと、寝ぼけ眼で答えようとする俺のことばを待たずに朝早く出かけていった。

『今日でここともお別れか......』

俺はこの一年間のイブとの想い出に浸りながら、しばらく部屋の中のものを眺めた。

イブにいわれた通り、玄関の鍵付きのポストのなかに部屋の鍵を放り込む。

チャリーンと音がした。
想い出の場所を去る俺の心のなかに、その音の余韻がしばらくの間鳴り響いていた。

空は青い。俺はひとり、ここで生きていく。

イブがあの夜、別れを切り出してからわずか一週間後のことだった。



ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

話は続きますが、不定期更新なので、次はいつになるのか今のところ未定です。ご了承ください。

尚、全く違った作品も間に投稿する予定です。これについても、予めご了承ください。

この作品は、1987年頃の物語という設定ですが、実在する人物、店舗、団体、地名などとは一切関係ありません。

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