妻の側に100%つく 続き2 ~妻の愚痴

妻の側に100%つくの続き その2になります。

文化の違いから妻の側に100%つけないことが発生するのではないか?
そしてそれはまず同居についての愚痴を聞く時に発生させてしまい、妻の気持ちを折り続けてしまっているのではないか?
という視点で考察をしていきます。
それには以下の4つの点の文化的異なりが絡み合いながら同意してあげられない現象が発生するのではないか?
ということが、前回の記事でした。

•地域要素
(同じ関東でも都会と田舎では異なりが出るのは当然)
•育った家庭の構成員
(核家族か否かでもだいぶ違う)
•育ての親や所属した教育機関等の教育方針
•友人の選択や読む書物、検索するwebサイト等

まず、育ってきた環境が違うので衝突が起こる問題を取り上げるのではないということは明確にしておきたいです。

本件の課題は、姑や舅や小姑の愚痴を夫に言っているのに、あっち側にたった発言をするから嫁が萎えるという話です。

恐らくこの問題が重要な生命線です。
このラインを守れれば、同居の暮らしの崩壊や離婚は免れます。
少し前に触れた同居の暮らしのルール作りは、共同体としての二世帯がより良く過ごしていくために最重要なポイントで、妻の側に100%たつは、全てを終わらせないための防衛ライン死守の活動として最重要なポイントです。
この2つの最重要ポイントを強化することが同居の問題解決の本丸です。

「旦那さんさえ味方でいてくれたら、子供達のこともあるので、なんとか我慢するのに。」というあれです。

さて、なぜここまで重要と叫ばれているのに妻の側にたてないのでしょう?

それは、考え方の根底が親である舅姑と同じだからで、少なくとも初期段階ではそれを植え育てた人々の意見だからです。

当たり前のこと書いてますが、この根底からはそう簡単に切り替え出来ません。

孫の教育方針なんかもそうですし、
地域の人との接し方なども、
普通そういうものだと考えている件に異を唱える妻に即同意は難しいでしょう。

少なくとも私は出来ないことが多く、妻に突っ込まれるw
だんだん姑や舅と同じ意見になっていくときがあるそうです。

なので、この種の会話を無意識普通の心構えではけっしてしてはならないのは当然として、意識して妻側に寄り添うと思って会話しても難しい場合があるのではないか?
そこで、浅はかな私が現時点で考えられる方法は以下2つだけとなります。

1、直接的方法
   聞く事が中心になり、議論はしない。
   異なる文化圏で気を使って立ち回っている労を労いたい。
   その上で文化の違いに妻はモヤモヤしていると思うので、どこが考え方の違いかを明らかにすることに徹する。
   妻の考えをその場で変えようとしない。

   困ってしまうのは、解決策を問われたときだが、ルール作りで解決できるものは良いのだが、信念的な文化の違いは難しい。双方の話し合いに持っていくしかないが、かなりの労力を使う。

2、間接的方法
   情報を公開して愚痴を話せる相手を増やすこと。より良いメンターや友人に話せるようにしたいが、適切な人や方法はまだわからない。

以上前回分類した、妻の側に100%たつの3つの分類中①妻の愚痴を聞いたときに、双方の言い分について自身の意見が賛成反対かを考えるときについてまとめてみました。

要は妻だって愚痴りたいときがあり、1番シチュエーションがリアルにわかる夫に愚痴りたいわけで、その時夫は文化的に染まってしまっているわけだから、賛成反対の立場にたって意見を言う役割ではなく、労を労って、なぜこんな気持ちになってしまっているのか寄り添うことではないかと思います。

考えがまだまだ足りない部分はあると思いますが、現時点の考察は以上になります。

そういえば最近このての話を妻としていないので、今日話せたら話したいと思います。

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