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「向き合いすぎない」ということ

自分と向き合え 

 「逃げてはいけない。向き合え」と小さな頃から教えられてきた気がするのは私だけでしょうか。真剣に真面目に向き合うことで壁を乗り越えられると教わってきた気がします。長い間それが正しいことだと思って過ごしてきたために、逃げるのが下手くそになってしまったと思います。

 しかし、どんなに好きなことであっても、来る日も来る日も毎日本気で向き合い続けていると苦しくなる日が必ずあります。真剣に向き合い続けることで、かえって追い詰められてしまうことがあるのです。

 私は筋トレをライフワークと位置づけて、家庭と仕事に並ぶ3足目のわらじとして大切にしています。3日筋トレができない日があると、夢の中でジムにいるくらいです。しかし、そんな私にもどうしてもモチベーションが上がらない日や、何のためにやっているのかわからなくなる日があります。せっかくジムに来ているのに全然違うことを考えていて集中できなくなったりすると、これはまずいなと思うのです。そういうときは無理矢理やっても時間の無駄なので、しばらく筋トレを休んだりもします。どうせ死ぬまでやるのだから、少々休んだって問題ないのです。

感情というもの

 これは自分の感情でも同じなのかなと思います。感情は揺れ動くものです。上がることもあれば、下がることもあります。ユラユラと揺れているのが本来の状態です。それが上がったままで降りてこなかったり、下がったままで浮かんでこなかったりするのは病気なのです。朝から暖かな太陽を浴びて美味しいパンとコーヒーが食卓に並べばなんだか嬉しくなるけど、出社して一番にお客さんからクレームが入ったりすれば一気に憂鬱になります。そうやってつまらぬことで揺れ動いているのが私たちの感情でしょう。

 その揺らめく感情を日がな一日ジーッと見つめ続けてモニタリングして、アップダウンに一喜一憂していては自分が振り回されてしまいます。

「朝は嬉しい気分だったのに、今はこんなに嫌な気分!なんでなのー!」

 なんでなのー!ではないのです。感情が揺れてくれているから、私たちは生きていけるのです。よくカウンセリングなどで「気分がフラットになればいいですね」と言われるのですが、果たしてそんな人間が存在するのでしょうか?お釈迦様レベルの悟りを開けばいいのでしょうが、残念ながらカウンセリングでお釈迦様にはなれません。

 特に「苦しい、つらい」という感情に焦点を当てすぎてしまうと良くないと思います。ドツボにはまってしまうのです。

「苦しい」→「苦しい人間はこういう言動をすべきだ」→「あぁ!やっぱり自分は苦しいんだ!」→「苦しい」(以下無限ループ)

 誤解のないように言っておくと、私は悲しいときに笑う必要はないと思っています。悲しいときは泣くべきです。ただ、その感情を見つめすぎて焦点を当てすぎて、自分を乗っ取られてしまうのは行き過ぎだということです。

「朝は嬉しい気分だったけど、ちょっと気分落ちちゃったな。ま、散歩でもすれば気が紛れるかな!」

というくらいに捉えられていて、感情の揺らめきをポジティブに信じられていると健康的じゃないかなと思います。

感情という天秤

 「逃げてはいけない。向き合え」という言葉は時に正しいのですが、真面目な人間ほど向き合いすぎてしまいます。自分に向き合いすぎるのも良くないと思います。

 感情というのは天秤のようなもの。揺れ続けることで安定しているのです。たまにはメンタルがブレることもあるでしょう。しかし、それが揺れ戻ってきてくれているのなら大丈夫。揺れが大きい日も、小さい日もあります。でも、大丈夫。きちんとよそ見して、たまに気にするくらいでちょうどいいのです。


ここまで読んでくださったあなた、ありがとう。またお会いしましょう。

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