解体前後の幡ヶ谷

住宅ローンは死んでも払わないといけないのか?

 表題の質問に、端的に回答するならば、Yesである。

 たいていの銀行さんは、住宅ローンを組むには専用の生命保険への加入を義務付けている。団体信用生命保険、いわゆる「団信(だんしん)」である。ローンの借主がもし死んでしまったら、この保険が代わりになって、住宅ローン残りぜんぶを支払ってチャラにしてくれる。

 ひとによってはそれを「銀行の奴隷になる」とも言うようだ。

「家を買うために銀行でローンを組むと、生命保険に入らされるからね。銀行からしたら何千万も金を貸したのに死なれたら困るでしょう。だから、生命保険に入らないとローンが組めない。『死んででも金返せ』ってことだもん。これって完全に奴隷だよね」
(抜粋元:山崎元・大橋弘祐「難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください! 」文響社、2015年)

 この山崎元さん(著名な投資家)は、特に若いうちは賃貸のほうが無難だし、もし家を買うためにローンをするなら出来るだけ早く返して銀行に払う利息を少なくするのがよい、と主張されている。
 たぶん投資のプロフェッショナルから見れば、銀行さんがやっている住宅ローンという商売自体がすごく阿漕なものに感じられるのだろう。(利益を取ってやらなきゃ回っていかない商売であるという点は、住宅ローンを扱う銀行さんも、賃貸を扱う家主さんも、そんなに変わらないんじゃないかと、ぼくは思う。商売というのは、つきつめて考えると、どれも阿漕なものである。)

 団信については、もうひとつ全然別の意見を聞いたことがあるので、それもあわせて紹介したい。

「住宅ローン、最初は繰り上げ返済をしてたんですけどね、これ、もし私が死んで団信で払うことになったら、繰り上げて返済した分は損することになるな、と思い直して、(繰り上げ返済するのを)辞めました。」
(某生命保険会社の外交員氏・談)

 彼は生命保険の外交員という職業柄、ちょっと変わったものの見方をしているのかもしれないけれど、彼がその職業を通じて認識しているとおり、人はときどき、思いがけなく死ぬ。
 日々の生活で死に関わる機会が少ないと、ついつい忘れがちになるけれど、我々はエルフではない、死すべき定めの人の子らなのである。

 そうだ、話題がどんどん飛んでしまって恐縮だけど、生命保険の証書の中身をちゃんと覚えていたお陰で命を拾った男についての話も、あわせて紹介しよう。
 飛行機での山越え中に遭難した、フランス人の飛行機乗りの話。冬のアンデス山中に軟着陸して丸二日目、冬山装備も食料もない氷点下四十度、彼は生還を諦めかけていた。すべって転んで雪の上に腹這いに倒れ、いまにも永遠の眠りにつこうとしている彼の脳裏に閃いたのは。

 動揺はきみの良心の深部にわいた。夢のような思いに、急にはっきりした現(うつつ)の事相が加わった。<ぼくは自分の妻のことを考えた。ぼくの保険証書は、彼女を窮地から救ってくれるだろう、そうだ、だが保険会社は……>
 失踪の場合、法律上の死の認定は、四年後になる。他のさまざまの映像を消し去って、この一事が明確に君の心に映った。ところがそのとき、きみは急勾配の雪の斜面に腹這いになっていた。きみの遺骸は、夏が来たら、雪解けの泥に運び去られて、何千とあるアンデス山中の沢の一つの奥へ転落してしまうはずだった。きみにはそれがわかっていた。だがきみには、五十メートル先に一つの岩角が雪の上に覗いていることも同じくわかっていた。
<ぼくは考えた、起き上がってみたら、あそこまで行けるかもしれない、そしてあの岩に支物(かいもの)をして自分の体をしっかり当てがっておいたら、夏になって、人が見つけてくれるかもしれない>
(抜粋元:サン・テグジュペリ/堀口大學訳「人間の土地」新潮社、1955年)

 この飛行機乗りは奇跡的に生還し、保険会社は支払いをせずに済んだようであるが、彼の保険証書にもし失踪後には半年で保険が成立するような条項があったなら、彼は山中で安らかに眠ってしまっていたかもしれない。

 あなたがもし独り身なら、自分自身の死、自分がいなくなった後の世界について、特に興味を持てないかもしれない。そうであれば、生命保険なんてものは余分なぜい肉にしかならないだろう。
 あなたがもしパートナーがいて、自分がいなくなった後の世界に経済的な責任を感じるのであれば、生命保険というのは有効な選択肢のひとつになりうる。団信だってそのひとつに挙げてもいいだろう。万一のことがあっても、おうちを遺せるのだから。住んでよし売ってよし、まともな物件であれば、あって邪魔になることはない。

(それにしても、当時の保険会社の与信基準については全く知らないのだけど、飛行機でアンデス越えをするような人でも生命保険には入れたのだなぁ。)

 この記事のヘッダ画像は、(右)リフォームする前と、(左)リフォームのために解体した後の、比較写真です。