スーパースターが引退する時


WBC優勝、大谷翔平ホームラン王、阪神優勝、バスケ日本オリンピックへ、ラグビーワールドカップ開催・・・・。

今年もスポーツ界は大いに盛り上がりました。栄光とはこういうものを言うのかと、観戦しながらうっとりするばかりです。

しかし頂点を極めた選手もいずれその輝きを失います。
概ね30代という年齢で全く別の人生を探さなければならない。スター選手たちのセカンドキャリア。衆目にさらされてるだけに、それは時に困難を極めます。

2011年、7月27日。ロサンジェルス郊外の自宅で元プロ野球選手伊良部秀輝(敬称略)が首つり遺体で発見されました(享年42)

ロッテのエースとして最多勝1回、最優秀防御率2回、最多奪三振1回。日本1の剛速球と天下一品のフォークボールで日本プロ野球を席巻した伊良部。その勢いで1997年、メジャーへの挑戦を果たします。

彼のキャリアプランは単なるメジャー挑戦だけではありませんでした。所属球団はニューヨークヤンキースでなければならない理由があったのです。

野球界をリードし、伝説のスターを輩出してきたヤンキース。その歴史の1ページに自分の名前を書き込みたい。

しかし、現実とはなりません。3年間の在籍期間中、二けた以上の勝利が2回。チームも2回のワールドシリーズ制覇。決して悪い成績ではなかったものの、目指していたのはエースの座です。
素行の悪さも手伝ってオーナーから「太ったヒキガエル」とまで言われる始末。

失意の中、ヤンキースを去った伊良部は移籍後エクスポズで2勝、レンジャーズで3勝という成績に終わります。そしてメジャーをあきらめる形で日本に戻り、阪神に入団。初年度こそ13勝を挙げますが、翌年は勝ち星ゼロ。2005年、36歳で引退を決断します。

その後実業家を目指し再び渡米。ロサンジェルスにうどんのフランチャイズチェーンを展開しますがまもなく閉店してしまいます。

伊良部は野球への思いを断ち切ることができなかったのです。2009年、米独立リーグでなんと5年ぶりに現役復帰します。この時の月給はわずか
1500ドル。さらに四国・九州アイランドリーグでもプレー。月給16万円でした。

収入額に構わず現役を選んだことからも、どれほど野球を愛していたかがわかります。
野球だけが彼を認め、充足をもたらし、信じられる唯一のものだったのでしょう。

2010年1月に正式に引退宣言を出します。すべてからの引退だったのかもしれません。1年半後、あの悲劇が起きたのです。

ロッテのエース伊良部秀輝、ヤンキースのエース伊良部秀輝、阪神のエース伊良部秀輝。

彼のアイデンティティーはエースピッチャーという役割の上に築かれていました。その一方、本体であるはずの伊良部秀輝は「無」だったのかもしれません。

ある1点に強力なアイデンティティーを築いていた人間がそれを失った時にどうなってしまうのか。この例は教えてくれている気がします。

現在では、スポーツ選手を対象としたとしたキャリア支援機関が続々と誕生しています。

「スポーツキャリアサポートコンソーシアム」「アスリートキャリアコーディネーター(ACC)育成プログラム」「マイナビアスリートキャリア」など。

その内容は例えば

●スポーツ選手のキャリア支援に特化した就職サイトを立ち上げ

●インターネット上でのスポーツ選手のファンクラブを作る。

●マネジメント会社を設立。

●引退後のキャリアを支援するトレーニングプログラムを提供

といった具合
(出典:マイナビアスリートキャリア)

独自の検定に合格した専門家が相談にあたり、そのための養成講座も存在します。

スポーツ選手の例は確かに極端です。しかしそれを全くの他人事としていいものでしょうか。

セカンドキャリアは多かれ少なかれ、アイデンティティーの喪失と再構築を伴います。

例えば60歳まで営業一筋でやってきたのにいきなり介護士をやることになった人。

その時、何が必要でしょうか。
一歩間違えれば、幸せは遠のく。
一人で考えるのはリスクが大きい。

役に立つのは、心のリフォームを手伝う第3者のまなざし。
キャリアコンサルタントは使うが勝ちです。





この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?