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【ショートショート】トイレの神様と産婦人科

「・・あー・・、まだだね。もうちょっと頑張ってね〜」


(ええぇぇぇ!こんなに痛いのに!?)


助産師さんに、にこやかにそう言われ、私はもう信じられなかった。


と、更に追い討ちをかけるように、隣にいた私の母が、


「まぁまぁ、お産は長丁場だからね・・。私の時はね・・」


なんて、自分語りが始まっちゃうもんだからもう、痛みとイライラでぐちゃぐちゃだ。


(あああぁぁ、もう早く大ちゃん来て!!)


と、仕事場から向かっている夫へ届くように、全力で心の中で叫んだ。


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やっと分娩室に入ってからも、なかなか生まれず大変だった。


大ちゃんは、こんな時に限って電車が人身事故で止まり、タクシーで向かっていると、意識が朦朧とする中、母がしゃべっていたような気がする。


「はい、りきんで〜!」


(あああぁぁぁ、もう早く産まれて来て〜〜!!)


と、頑張っていると、母が何かを決心したように・・


「紗英!お母さん、雪隠(せっちん)神様にお願いしてくるから!!ちょっと一人で頑張ってて!」


(・・はっ!?何何何!?なんて言った!?せっちん??)


と、理解不能のまま母は分娩室を出ていった。


それと入れ替わるように、大ちゃんが入って来て、もう母の言葉はどうでもよくなっていった。


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ジリジリとゆっくりゆっくり・・痛みと共に我が子と「生」という光に向かっていた時間。


その歩みのスピードは、一定ではなくさざ波のように行ったり来たり。


でも、母が、なんちゃら神様にお願いに行くとかなんか言って、出て行った後あたりから、不思議とお産が一気に進んだ。


痛くて苦しくて意識もどっかに行っちゃいそうな時、温かくて柔らかい何かがフッと体を通り抜けていくような感覚があった。


その優しい風のようなものに促されるかのように、我が子は私から「この世」という世界へ降り立った。


生まれた瞬間は、そりゃもう感動とか疲れとかやり切った感とか嬉しさとか、もういろんな感情が全身をめぐって、訳わかんなくなってた。


隣では、大号泣でビッショビショの大ちゃんがいて、その光景が生まれたという実感をより感じさせてくれていた。


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出産という大仕事を終え、ベッドで休みながら、私は夫や母と話していた。


まだ、夫は目が真っ赤っかだ・・。


「そういえばさ、お母さんどこ行ってたの?ホラ、なんとか神様に・・とか何とか言ってたじゃん?」


「紗英のお産がなかなか進まないから、雪隠神さまにお願いしに行ったのよ」


「・・・せっちん神さま?何それ?」


「何それとか言わないの。お産の神様よ」


「お産の神様なんてどこにいるの?まさか、どっかの神社まで行ったの?」


「トイレよ」


「・・え、トイレ?トイレに行ってたの!?」


「そうよ!雪隠神様はトイレの神様なのよ。だからトイレに行って紗英のお産が進みますように〜、元気に生まれて来ますように〜ってお祈りしてたの」

「・・・・・」


私は、産婦人科のトイレの個室で一人トイレに向かってお祈りしている母を想像した。


「紗英のおばあちゃんが、お母さんを産む時もね、なかなか出てこなかったんだって。それで、お姑さんが厠(かわや)っていう昔のトイレに行って、雪隠神様にお祈りしたら、その後ちゃんと生まれたっていうのよ。その話を、何回も何回もされてねぇ・・・」


母は、回想している表情から、急にキリッとして、


「苦しんでいる紗英を見ていたら、それを思い出してね!雪隠神様にお祈りしなきゃと思ったのよ!!」


と、まるで「私のおかげね!!」と言わんばかりの顔である。


え、それって自宅で出産していた時の話じゃ・・・と思ったけど、まぁ実際お産が進んだんだからよしとしよう。


でも、赤ちゃんが生まれる時の、あの感覚は不思議だったなぁ・・。なんてぼんやり出産時のことを思い出していると、母がニッコリと笑って言った。


「1週間後には、雪隠参りに行くからね!」

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