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鬼さんこちらへ

節分で「福は内、鬼は外!」と声かけをして豆まきをすることが多いですね。最近は、「福は内、鬼も内、」という家庭も多くなったと聞きました。鬼さんはもともと嫌われ役を演じながら、私たちを守ってくれている存在なのかもしれないから大切に感謝していかなければという発想ですね。

病気になった時に、痛むところ、具合が悪いところを切り捨てて浮こうというのが「鬼は外」の発想かもしれません。「鬼も内」の発想になると、痛むところをなだめつつ、「おおごめんごめん、酷使してしまったね・・・キツかったね、ありがとうね・・・」と仲直りしていく発想になります。文献によると、ウイルスの存在も健康のために貢献しているようです。やたらと敵対して「皆殺し!絶滅させてしまえ!」みたいな怖い発想でいくと、結局は自分たち自身を壊していくことになってしまう、それは・・・
私たち自身の存在が、いいものもそうでないものも全て含んだ世界に在る、私たちの存在そのものがそうで在るから。それを考えたら、どのような不都合や悲しみ苦しみも「あっちに行ってしまえ!やっつけろ!」で解決にならないのが見えてくるはずです。

もちろん、痛い時辛い時には「痛いの痛いの、飛んで行け〜」で痛みが取れたら嬉しいのですけれど。その痛みはどこに飛んでいったのでしょうか?一人で、一ヶ所で抱えきれない痛みは、風とともに舞い上がって薄められて、太陽の光、お花の香り、潮騒にのって流れていきます。キラキラ輝く光の中で、小さな小さなクリスタルのようば粒々になって、私たちに爽やかな暖かい風として舞い戻ってきます。

それを人は愛というのでしょうか。
Tuuliはいつも、そんな風でありたいと願っています。

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