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「私の会社をよろしく」

吉村史子(よしむらあやこ) 風と土と・総務経理
茨城県つくば市で育ち、大学進学を機に上京。海外留学や東京での会社員生活を経て2011年秋、巡の環(現:風と土と)のインターンとして半年のつもりで海士に滞在。そのままとあるご縁で島の僧侶と結婚し、めでたく定住決定(笑)!以来会社のバックオフィス業務に従事しつつ、家業に家庭にと何足かのわらじを履きながら、日々の小さな楽しみを励みに暮らしています。趣味はポッドキャストとうつわ集め。


気づいたらここにいた

そんなつもりは全くなかったのに、気づいたら島暮らし13年目に突入しました。
震災のあった2011年、私は東京を離れ、6か月だけ滞在するつもりで島根県隠岐諸島にある人口2300人の離島、海士町にインターンに来たのがきっかけでした。翌年島の人(まさかのお坊さん)と結婚し、インターン先でもあり、当時「巡の環」という社名だった「風と土と」に正社員として就職。私の人生が大きく分岐した、まさにターニングポイントでした。

入社した当時、会社は今のように事業の基盤が確立していたわけではなく、生きていくために何でもやっていた時期でした。私も総務、経理、物販、研修コーディネートなど未経験の業務を暗中模索しながらこなす日々。その後、会社メンバーも入れ替わりを繰り返し、新たな株主も迎えて、組織や事業が会社らしくなってきたのがここ4、5年のことです。

事務所を兼ねる築124年目の村上家資料館。休憩時間、縁側でお弁当を食べるのが至福。

住み続けたくて住む島


昔と違い、田舎に対して好意的なイメージを持つ人が増えてきました。とはいえ「魅力的な仕事がない」「生活が不便」「収入が低い」など、一般に人々がマイナスと捉える課題も多いのが現状です。一方海士町はというと、そうした課題の捉えなおしをした「ないものはない」という考え方を発信したり、人口減の歯止めとなるような施策を積極的に打っている自治体です。もちろん島内的にはいろいろあります(笑)が、そこは何ごとも「足るを知る」。全国的にもかなり頑張っている自治体と認識されているかと思います。

とはいえ、私は状況的には島に嫁いだ永住組。今の賑わいも大切ですが、自分の老後やこども・孫世代の島の未来も大いに気になります。住まいがお寺なので、100年、200年先へ繋ぐバトンを担っているという意味でもなおさらです。

島の人にはそれぞれ事情があります。島を離れなければならなかった人、離れたくて離れた人、島を出ないことにした人、一度出たけど戻ってきた人、そして私のように外から移り住んだ人。せっかく同じ時代に縁あってこの島に住むのなら、誰にとっても「住み続けたくて住む島」であってほしい。そのためにも自分ができることをしていきたい。私だけでなく、そう願い、行動に移している人が多いのも海士町なのです。

異動や卒業シーズンの3月、毎日のように見送りの人で溢れる港。定番の「蛍の光」が流れます。

一国の縮図ともいえる離島の生活は、人の出入りや、ひとりひとりの顔が良くも悪くもしっかりみえます。誰がどこで何をしていて、それが自分たちの生活にどう関わっているのか、皆がお互いなんとなく知っている。そうした村(むら)社会では、ひとりひとりから私という存在も認識されています。常に顔が見える関係性の中で、都会にいたときよりちょっとだけ自分の存在感がくっきり縁どられたような、そんな感覚を持ちながら、今この島で暮らしています。

「自分は自分でいい」

顔見知りの多い海士町では車ですれ違っても運転席から会釈をする、そんな日常です。島の高校生にすれ違いざま「こんにちは」と言われてハッとし、なぜ自分から声をかけられなかったのだろうと反省することも。そうした濃厚な人間関係の中で生活していると、たまに息抜きをしたくなって本土に出るのですが、今度は初見のコンビニ店員さんにうっかり挨拶してびっくりされたり・・・。なんだかんだ、お互い顔の見える中で生活できる有難さを島に戻る度に感じます。

島では一日の時間の使い方もかなり原始的。仕事以外、大半は身の回りの衣食住を整えることに費やされ、半径数メートル以内の人々とのやり取りが中心。刺激的なことや、抽象的なことが減った代わりに、単調で、恐ろしく手間のかかる生活から感じるようになったのは、他と比較する必要のない「自分は自分でいい」という感覚でした。「私が今こうしているのは他ならぬ私の意思である」。そんな当たり前のことが、すとんと自分に入ってきたのも、このシンプルな生活のおかげです。

それは会社にいても同じです。それぞれのメンバーが様々な経験や能力を持ち寄り、風の要素も、土の要素も平等に価値があると認識されている「風と土と」。「自分は自分でいい」と心から思える環境にいれば、替えが効くとか効かないとかいう言葉におびえずに、安心して本来の力も発揮できます。都会にいたときの私に、こんな生活もあるんだよと声をかけてあげたくなります。

トヨタから3年出向した佐川さんの見送り。その人が島で紡いだ人間関係が一目でわかる瞬間。

「私の会社」と胸を張って言えるか

「風と土と」という社名の由来は、HPで以下のように表現しています。

風と土とは、今ある土地や歴史、人に根差した“土”を守りながら、常に変化する新しい“風”を取り入れることでより豊かな“土”を育む会社です。

海士町は様々なキャリアや人生を経験した人材のるつぼ。人が人を呼ぶ連鎖で、自分で海を隔てた都会に出ていかなくても、ご縁を辿って都会で活躍されている方がわざわざ足を運んで訪ねてくれます。「風と土と」も自分たちの繋がりのある企業人や有識者、出版する本の著者を島にお呼びし「互いに知り合ったら面白いことが起きそう」という人や場につないだり、逆につないでいただくことも多いのです。それによって思いがけないシナジーが生まれ、実際にビジネスとして新しい活動や動きにつながることもあります。

普段やっていることはとても地道で、派手さのない仕事に思われるかもしれませんが、この海士町でやるからこそ意味のある事業だと感じます。私はバックオフィス担当なので実際に現場で起こっていることをそのまま感じることはできませんが、社員の一人として、自分も未来のために手を動かしていると思えることはとても幸せなことです。

最初は耳慣れなかった「風と土と」という社名ですが、島内では有難いことに老いも若きも「カゼツチ」という愛称で呼んでくれており、島で創立16年目を迎える私の自慢の職場です。地元の方からは、相変わらずお金儲けはできないし、危なっかしくて見ていられないわ、とこの先も言われそうですが、未来に向けて仲間を増やしながら豊かな土を育んでいる真っ最中です(会社メンバー随時募集中!)。どうぞこれからも温かい目で見守っていただけますよう、末永くカゼツチをよろしくお願いします。(なんかもう退職するみたいですが(笑)、古株社員としてもう少し頑張ります!)

会社にお招きしたゲストと社員でまかないランチ。食卓には手作りの旬の食材が並ぶ。

▼絶賛、一緒に働く仲間を募集中!ご興味のある方はぜひ!

▼一緒に働いている風と土との仲間を紹介!


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