(50) 難と易
提婆達多(だいばだった)は師に背いた。
師とはお釈迦様である。お釈迦様に背くことが度々で、大逆人の烙印を押されたと聞く。お釈迦様が確かに師であったとしても、背かねばならない理由(わけ)があるなら背くことになるかも知れない。どう背いたかは、霊鷲山(お釈迦様が教えを説かれた霊山)で師を事故死に見せかけて殺害しようとしたという。そのような背き方は決して相手がお釈迦様でなくても決して許されることではない。師の殺害にしくじり、自分の教えを唱え始め、弟子たちと共にブッダの教団を分裂させようとしたらしい。教団の和を乱すのは仏教では大変な罪とされていた。
愚かである。行き過ぎた”自己愛”から発したと思われる”自己顕示欲”なのか、仏教哲学を求める学徒とは思えない蛮行である。そんなご自身の命を奪おうとした提婆達多(だいばだった)を、お釈迦様はご自分が”悟り”を得る為に「難」を作り出してくれる存在として捉えなさったと聞く。「難あればこそ有難し」と受け止められた。並大抵では得られない境地である。
煩悩にとらわれて迷いの中にある凡夫の私にとって、越えられない一線の向こうだ。そう思いながらも、私の理想的姿勢であり、出来る事なら近づきたいと願っている。ただ、
「難が有れば苦難の人生」だろうか?
「難が無ければ無難な人生」だと言えるのか?
それには愚考の中で深い疑問を持っている。私たちの人生は「易」ばかりで塗られてはいない。時として「難」を抱えて苦しむことが多々ある。どちらかに大きく傾くことはなく、「難」あれば「易」もあるのが人生というものである。「易」ならば、そこに身を置き深く味わったらそれで良い。「難」は、どう受け止めるかで大いに人生の味わいが違って来ると思われる。お釈迦様ではないが、「難」を”有難い”と思えたとしたら、それは凄い境地であるのだ。
「よろしく、ロッケンロール!」
そんな挨拶で登場して来ていた今は亡き内田裕也さん、和製ロックンロールの草分け的存在だった。色々と世間を騒がせたこともあり、奥様の樹木希林さんはご苦労されたと聞く。希林さん曰く「難の多い人生は、ありがたい」と、お話しされている。
お釈迦様と同じ境地で語られた。樹木希林さんの凄さである。並の境地ではない。希林さんの葬儀の場で、娘さんの也哉子さんは、希林さんの言葉を述べられた。「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」希林さんの人生哲学なのだ。凄いのひと言である。頭が下がる。
私たちは日々の生活の中で「難」を嫌う。確かに悩んでしまうし苦しい。出来る事ならそんなものはない方がいいと願う。そんな思いに関係なく、「難」は時々私たちを襲うかのようにやって来る。来る日も来る日も、下手したら長期に渡って私たちは悩み、晴れない重い気持ちで過ごさねばならない。何をしても気持ちは重く、時にどうして良いのかわからなくなることもある。抜け出るのに精一杯だ。ふり返ると、「難」は特に強い印象でもって記憶されることが多く、「難」ばかりだったと思い出すことになり、ますます「難」を嫌うことになる。悪循環を生む。「お釈迦様のようには受け止められない。希林さんのように考えられない」だからと言って、それを苦にしてはいけない。そう考えられなくて良いのだ。簡単なことではなく、悟りの境地とも言うべきものだからである。そう思えない自分であること。
これが私たちの出発点だ。
人生は、「難」と「易」は同じようなバランスでやって来るものだということが何より大切だ。望むか望まないかは別なのだ。誰ひとり「難」は望まない。しかし、「易」だけなどと都合よくはいかない。「難」を楽しみに待て、とは言わない。お釈迦様のように、”悟り”(生涯の目的)を得る為の「難」と位置付ける。このことが凄いのだから、そんな知恵をせめて忘れないでいたいものだ。希林さんのように「成熟」する為に「難」があることと位置付ける。素晴らしい逆手の思考であるから、大切にそのまま頂くことにする。凡夫でしかない私であるから、せめてそう生きた先人から少しでも学び、一つでも私のものにしておきたいと思う。
亡き 内田裕也さん 樹木希林さん
ゆっくりお休みください。 合掌
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?