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(92) 間

”間”はお笑いの命。

修行時代、浅草で徹底的に先輩たちから”間”を教え込まれたと、欽ちゃんは今になって語っている。コント55号のあの萩本欽一さんだ。

”間”には多様な意味がある。
お笑いにおける”間”とは・・・何もしない時間であり、”沈黙”であると思われる。動きが生じたり語ってしまったら、その”間”を使い切ることになる。動き、語ってしまったとしたらその”間”を使い引き算することになり、”間”を失くすことになる。当然笑いにまで発展することはない、と、欽ちゃんは言う。”間”次第で笑いが決まるわけだ。芸人さんは、この”間”に命を懸けている。今、ここに”間”が必要であるとなると、動かず語らず沈黙に徹して我慢し、その”間”の長さがどれぐらいが絶妙なのかを探し続けるという。

これが「芸」なのだ。
頭が下がる。
私なんか、講演の折、深刻な話ばかりではと雰囲気を変えて、ちょっと笑ってもらおうかと面白いことを言ってみるが、我慢し切れなくてすぐにその”間”を潰してしまう。会場は引いてしまい、気まずい空気が漂い、立場を失くしてばかりだ。この笑いの”間”は容易には創れはしないのだ。

散々な目にあって来たから、笑いの”間”は諦めるにしても、実は心理の世界でもこの”間”が永遠のテーマでもある。

・相互の関係
・二つのものの関係
・人・集団との交わり方
・人との心理的な距離

これらも全て”間”と言える。
私の生業上の「永遠のテーマ」なのだ。

ダジャレも寒いままだし、ボケても”間”が創れずスベって散々だが、まぁ芸人ではないので許されたりしてはいるが、心理におけるそれらの”間”はスベることは出来ない。事・人に対してどのような心理的”間”を取るか、が問われている訳だからスベッてなんかいられない。どのように心理的”間””距離”を取るかを解き明かすのが私の仕事なのだ。クライアントの方々にこの”間”を解き明かし、どう日々の暮らしを円滑に運べば良いのかを提案しなければならない。

そう言えば、西洋の楽曲はリズムにしても旋律にしても、音の高低・長短はあるにしても「連続」した流れがある。それに比べて日本の楽曲には”間”がある。太鼓・琴・三味線など、弦をこすって音を出すだけでなく、叩いたりはじいたりして音を出すことがあり、時に”間”が生じる。どうも日本文化は、まさに”間”の文化と言っていい。”間”の使い方はこの国の基本的「掟」なのだろう。お笑い・心理の世界、私たちの日常生活に至ってもこの”間”は重要なのだ。一歩間違うと痛い目に合う。

「先生も両親も、この一年は私にああしなさいこうしなさいと言わず、黙っていてくれました。見守られている、と強く感じていましたし、ありがたいことなのだから、力を溜めていつか出発(たびだつ)ぞ、と誓いを立てていました」
「そうでしたか。僕が担当して一年になりますね。人は動機で動けるものです。その影に、目的や目標というものがありますけどね。十分になるまで慌てることはありません」

二十一歳大学生、今は休学中、女性。彼女のお母さんはご自分のことを「毒親」で「太母」だと、自虐的におっしゃるが、決してそんなことはない。希望の大学に合格したが、二年生に進級と同時に動けなくなり、引きこもり一年が経つ。毎週カウンセリングに通い、日に日に顔に生気が戻って来ていた。

「高校でハンドボールをやってたと言ってたよね。ハンドボールって見た目よりハードなスポーツだよね。試合中パスしながらだけど速攻じゃない限り少し休めるよね。あれがないとハーフタイムでバテてしまう。あれが”間”だよね。人生も一緒だよ。”間”を取って、自分のペースで時に走り、時にゆっくりと・・・。人生百年時代に突入したからね。十分時間はあるから。」
「これで良かったんですよね」
「僕なんか神経症だから、強迫観念に【休むな】って迫られるから・・・明日でいいことは今日やらないように言い聞かせてばかりだよ。自分を活かすも殺すも”間”次第だよ」
「はい、私やり直します」

ピッチャーも速球だけを投げ続けたら打たれる。時に遅い球を投げたり、打者を驚かせる”間”である変化球が必要だ。そうでないと速球は活きないのだ。彼女は今、元気に大学生活をエンジョイしている。”間”を忘れずに・・・と願っている。


※最後の2枚は、バレーボール男子カナダ代表・MAAR(マー)選手です(苦笑)。

管理人より


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