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(111) 無心になれ

やっと三歳になった孫のチビ坊が笑顔に満ちている。いつも嬉しそうで何よりなのだが、不思議である。姉である孫娘の七歳の誕生日ということで、孫娘からのリクエストもあり、大好物の手巻き寿司と茶碗蒸しを作った。料理は私の役目だ。

ママが巻いてくれたマグロの手巻きを、ペッと手の合図で拒否して、不器用な手つきで自分でマグロを巻き、口に押し込んだ。
「うまい!」
と叫び、オーバーなジェスチャーで喜んでいる。
こんなチビ坊の笑顔の数々は、孫娘が幼かった時には見せることが無かった記憶だ。孫娘はいつも眉間にシワを寄せ、周りの様子に気を配り、何かを感じとろうとする緊張感が一杯であったような思いが強くある。

チビ坊は、気にしない派なのか、感受性の違いなのか、鈍感なのだろうか、まだ年齢が幼くてよくわからないのだが、とにかく孫娘と違って天真爛漫に全身で表現して生きている。

実は、私には何人もの師匠がいる。
そのうちの一人に禅者の僧がいる。何てことはなく、大学時代のラグビー部の二年先輩である。ラグビーは全然教わっていないのだが、道元禅師の教えを習った。

すべてが衝撃であったのだが、特にこのひとつが凄かった。お釈迦様の言葉にある「天上天下 唯我独尊」

この言葉はそれぞれの宗派がそれぞれに解釈し理解している。禅者はそれを
「ただ我独り尊し」と聞くという。意味はこうなる。
「生まれたての赤ん坊には、天もなければ地もない。過去のことを考えることもなければ、未来を予測することもない。そこにあるのは、”無心に今を生きる生命”だけである」

この”無心”の生命こそが、何ものにも代えがたく何ものにもまして尊い、ということなのである。「ただ我独り尊し」をそう聞く、禅宗の哲学の深さと正しさを先輩に教わった時から、私は先輩を”師匠”と呼ぶようになった。その代わりラグビーは私が教えたから、私は”師匠””師匠”ということになる。

「ありがたい」「貴重だね」「尊いね」なんて言葉は昭和の残骸なのだろうか、近頃聞かなくなった。また、言う機会が少なくなってしまった気がする。今、目の前でチビ坊は、”無心に今を生きる生命”を私をはじめみんなに見せている。チビ坊が立派なのではなく、彼らの”幼さ”が凄いのだ。師匠から習って半世紀になる。私は忘れることなく”無心””今を生きる”をテーマに生きて来た。それでも、「ありがたいね」「尊いね」との言葉を私は滅多に言わなくなった。師匠から教わることはことはもうないのだが、チビ坊が師匠に代わって、今、私の目の前で日々”無心に生き”その凄さを教えてくれている。「老いて孫に習う」というのは、こういうことなのだ。

以前にもチビ坊のことをこのnoteに書いたのだが、まだまだ上等な知恵・知識を持たないから、先を予測して「悩む」「不安」になることがないと書いた。そんなチビ坊だが、眉間にシワを寄せる日がいつか来るのだろうか?大きくなるにつれ、体験や知識を得て、やがて分別心を持ち、様々な「迷い」や「不安」が生じてくるはずである。

禅は、その「迷い」や「不安」を除去するために”無心”になれと勧める。
「赤ん坊のようであれ」と。その”無心であれ”であるが、確かに大きなエネルギーで私たちが何かに向かい懸命である時、全く「迷い」も「不安」も近寄る気配さえないという経験が数多くあるはずだ。”無心”でいるとき向かった方向に全力・大半のエネルギーが向いているからなのだろう、”ぶれる”ことはないのだと感じる。

誰にしても日々成長を続ける。
経験し、知恵も知識も身につけていく。
その事と引き換えに、「迷い」や「不安」が私たちを悩ますこととなったとしても、成長したことの確かさと、当然そうなるべきことが起き始めたとの理解をすることにより、「なるほど」と納得したらいいのだ。”無心”を忘れないことで十分に足りるはずである。

いつかチビ坊が
「じいちゃん、俺つらいよ!」
と言う日が来たら、私はチビ坊の三歳の時の”無心”な様子を語ってやろうと思う。せめてそれまでは元気でいたいものだ。


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