即興三題噺(2つ目)

≪ルール≫                              三題噺スイッチ改訂版のサイトをクリックして出たランダムのお題3つを使って即興で物語を作る。長さ制限なし。

≪お 題≫                              晴れ・師匠・店舗

~~~~~~~~~~~~~~~~話~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「今日で6日続けて晴れだったから明日から3日間は雨にするか。」

 課長が、椅子にのけぞり、ペンを鼻と口の間にはさみ、頭を掻きながらけだるそうに言った。欠伸をした拍子に挟んでいたペンがするりと落ちて机の下に転がった。私は手際よく机に潜り込みペンを拾うと課長へ手渡した。毎週月曜日に行う会議ではその週の天候を決めることになっている。決めるといっても割合は特に決められておらず、課長のさじ加減で決まるため、会議の時間は朝の朝礼よりも短い。短いため朝礼の前に済ましてしまうのが当たり前となっていた。課長は、朝が弱いのかいつも欠伸が止まらない。ペンを鼻と口の間に挟む癖と相まって、ペンを落とすこともしょっちゅうで、担当でも何でもないが、一番歴が浅い私がそれを拾い上げる担当となっている。

 私はこの気象庁に働き始めて2年になる。経験者採用として入庁したため、同じ部署には年下ながらも先輩の子たちが何人かいた。元々の気象庁は、自由自在に天候を操るなんて魔法みたいなことは当然できなかったが、ある日を境に、その”魔法”に頼らざるを得ない出来事が起こった。

 雨が降らなくなったのだ。人間が地球へ与えた環境破壊は、世界的な大干ばつによって、文字通り”天”罰が下った。地球温暖化により、海水の蒸発が増加し、降水量は年々増加傾向にあったが、ある時から減少傾向へ転換し、最終的に年間降水量ゼロというあり得ない現象が起こった。

 各国が雨を降らすための技術開発に挑戦したが、各国それぞれの技術力では、到底会得できるものではなかった。全世界が開発にあぐねていたのだが、ある一人の科学者の出現により、その技術開発は急速に進み、ついに天候を操る装置、正確には雨雲の発生装置の完成に至ったのである。その科学者というのが、なんとこの日本の、この気象庁の私の先輩である、いや師匠である梨本由利であった。

 師匠は、私の大学時代の先輩で、その時からすでに天才と呼ばれる女性であった。人としても人格者であり、大学の課題で分からないことも親身になって教えてくれた。容姿も端麗で、誰にでも気さくに話す性格だったため、同学部中の花であった。師匠のことを嫌う人間は一人としていなかっただろう。そんな師匠に彼氏ができたと判明したときは全男子学生が気を落とした。年上の男性で同じ大学の学生ではなく、街でも一緒にいるところを見かけなかったことから、頑なに信じない者も多かった。何を隠そう私もその一人だった。

 そんな師匠が、世界中の協力者とともに作り上げたのが、この部署で運用している雨雲発生装置YN-BRTDHである。この装置は、とても複雑なプログラムで構築されており、作動している間中操作し続ける必要があり、その作業が常人に理解できないものであったため、開発者以外が操作することが現時点では不可能であった。開発者である師匠しか操作できないため、必然的に、天候を雨にするときは師匠が泊まり込みで作業を行うしかなかった。年を取っただけで何の実績も思考力もない前時代の課長は、その労働の重みも解さず、適当なスケジュールで天候の決定を行っていたが、師匠は何の文句も言わずそのスケジュールをこなしていた。師匠もそれを望んでいるようだった。私たちも、師匠だけに負担はかけられないと、装置について勉強したものの、全く操作方法が理解できないまま1年が過ぎてしまった。

 雨の日は、先に帰る私をよそに重労働をしてくれる師匠に、いつも熱い紅茶をいれて差し入れしていた。大学時代も、いつも残って実験をしていた師匠に差し入れをしていた。その時はいつもコーヒーを差し入れしていたので、入庁して初めてコーヒーを差し入れたときに、ごめんねと受け取ってもらえなかったときは少し不思議に思った。海外でおいしいコーヒーを飲みすぎたのかもしれない。

 私はコーヒーが大好物である。飲み物に対してこの表現は少し大げさかもしれないが、一日に飲む飲料がすべてコーヒーであると言えば認めてもらえるのではないだろうか。そんな私が最も気に入っているコーヒーを出す店舗がこの部署から歩いてすぐのところにある。

 〈雨の降る場所〉と名付けられたその店舗は、最近にしては珍しくコーヒーのみを取り扱っている。その割に若い女性の店主が淹れるコーヒーは美味しくもマズくもなく普通なのである。若い割にはいい味をしていると思うが、これより良いコーヒーを淹れる店舗はいくらでもある。それでも私が最も気に入っているという理由は、限定で出されるコーヒーがあるからだ。

 そのコーヒーは雨の日にしか出されない。雨の日限定のコーヒーなのだ。このコーヒーは、この店舗で出されるどんなコーヒーよりも深みやコクが段違いなのである。そのため、雨の日は普通客の客足は遠ざかるが、コーヒーに魅入られた同志たちは逆にこの店へ集まるのだ。

 これだけ美味しいコーヒーであれば、きっと師匠も飲んでくれるに違いない。そう思っていたが、それは叶わぬ夢であった。雨の日にしか出されないコーヒーは、雨の日に泊まり込みで作業をする師匠に永遠に出会えないのだ。今時デリバリーも持ち帰りもできないのかと言った客もいたようだが、店主は、それだけはしないと頑なに断ったらしい。

 それでも、一度だけでいいからそのコーヒーを飲んでもらおうと、私はこの店に通い詰めた。常連客であれば、もしかすると一杯だけであれば、晴れの日でも淹れてくれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのだ。

 快晴のある日、私は、仕事帰りに意を決して師匠をその店へ誘った。師匠は雨の日じゃないと行けないと頑なに断った。それほど普通のコーヒーは飲みたくないのだろうか。それでも私はあきらめなかった。引っ張ってでも連れていきます、と無理やり腕を引いてその店へ向かった。

 店へ入ると、いつものように若い女性の店主が出迎えてくれたのだが、師匠の顔を見るととても驚いた様子で、かすかな沈黙が生まれた。     「やっと来てくれた。」                       店主は師匠に向かってそう言った。師匠は少しばつが悪そうに、うんと一言だけ呟いた。

 私と師匠はカウンターの席へ案内された。私は、師匠と店主が知り合いだったことに少し驚いた。以前から、この店の話は師匠の前でもしていたのだが、いつも空返事でそっけなかったため、全く知らないと思っていたのだ。どうして黙っていたのか聞こうとする前に、店主が話を切り出した。

 ーいつぶりでしょうか。兄が亡くなったあの日からでしょうか。ー


 店主、長谷川美奈は大樹という兄がいた。兄は、大柄だが気の弱い性格で社交的ではなかったが、美奈にとっては、とてもやさしい兄であった。当然女性にも積極的にアプローチできない兄は、大学を卒業しても女っ気が全くなく、妹としては心配であったが、そんな兄からとても奇麗な彼女を紹介されたときは少し嫉妬を抱いた。

 兄とその彼女は、兄が働いている喫茶店で出会ったそうだ。当然、兄から話しかけることはできず、粛々とコーヒーを淹れるだけであったが、そのコーヒーが、彼女が今まで飲んできたどんなコーヒーよりも美味しかった。気さくな性格の彼女は、兄の人見知りなどお構いなく、コーヒーの淹れ方から始まり、色んなことを話した。何度か店員と客の関係が続いたが、兄は勇気を振り絞って彼女を誘った。彼女はくすりと微笑み、「傘を忘れたから、一緒に入れて帰って。」と言った。外は雨が降っていた。

 兄は、将来自分の店を持って世界一美味しいコーヒーを淹れたいと言っていた。彼女はそれを微笑みながら聞いていた。二人は幸せだった。そんな二人を見て、最初は嫉妬していた美奈も、今まで見たこともない兄の幸せな笑顔を見ることができて幸せだった。

 兄が倒れた。幸せは長くは続かなかったのだ。原因不明の病に侵された兄は病院で闘病生活をせざるを得なかった。彼女は世間から天才と呼ばれる女性であったが、医学は専門外であったため、天に祈ることしかできなかった。最も愛する人に何もしてやれることがない彼女は自分の不甲斐なさを嘆いた。兄は長い闘病生活で体が思うように動かせなかったが、必死に体を動かし、彼女に寄り添い、ありがとうと感謝を述べた。

 兄は死んだ。闘病の甲斐なく、26歳という若さでこの世を去った。兄は体が完全に動かなくなり、口だけかろうじて動かせる状態になってからは、毎日外の景色を眺めていた。この頃ちょうど世界的な大干ばつが始まっており、毎日が晴れだった。兄は外を眺めながら静かにつぶやいた。

 「もう一度雨が見たかった。」


 美奈は、体が動かなくなっていく兄を見て思った。兄が生きた証を残そうと。その日から、美奈は、兄からコーヒーの淹れ方を教わった。全く何もわからない状態から始めた美奈にとってはとても難しいことであったが、必死に練習を繰り返した。兄のコーヒーの淹れ方は普通とは少し違った方法であったため、普通の淹れ方を教わろうとしたこともあったが、兄はどうしてもこの淹れ方を教えたいと譲らなかった。特に熱さを保つことが重要だと口酸っぱく教えられた。

 兄の死後、美奈は小さな喫茶店を始めた。コーヒーの淹れ方は人並みだが、兄から教わった特別な方法は必死で練習してきた。兄に認めてもらえるくらい美味しいコーヒーは淹れられているだろうか。

 兄から教わったコーヒーは雨の日にしか出さないと決めていた。兄は雨の日が好きだったから。

 兄の彼女とはあれからずっと会っていなかった。兄の葬式の日も姿を現すことはなかった。あれほど幸せに過ごしていたのに、兄が亡くなってしまえばそれほど簡単に離れられるものなのだと軽蔑した。その彼女が、世界のために戦っていたことは後になってから知った。

 今日は晴れの日だ。と心の中でつぶやきながら美奈は開店の準備を始めた。晴れの日は客が多いが、コーヒーを嗜む人は少ない。常連のお客さんは雨の日だけ淹れる兄のコーヒーを目的にしているのだ。新しいお客さんがやってきた。いつものように明るく出迎えようとした美奈に彼女の顔が目に映った。美奈は一瞬間を置いてから一言つぶやいた。「やっと来てくれた。」

 

 由利は俯いたまま一言も話さなかった。いや話せなかった。何を話したらよいか分からなかった。亡くなった彼の妹である美奈はこちらを見向きもせずコーヒーを淹れている。この香りは何年ぶりだろうか。ずっと記憶から消そうと思っても消すことができなかった。思い出したくなかった。この香りを思い出すたび彼との色んな思い出が呼び起こされる。私は彼を救うことができなかった。彼に何もしてあげられなかった。そんな後悔から、彼の最後の望みを叶えようと必死で頑張ってきた。今の私を見たら、彼は笑顔になってくれるだろうか。

 美奈は兄から教わったコーヒーを淹れると、何も言わず静かに由利に差し出した。由利も言葉を発することなくゆっくりとコーヒーを飲んだ。

「兄が淹れるような美味しいコーヒーにできていますか。」美奈は言った。

「あの時のコーヒーだ。 あの日も雨が降っていたっけ。」由利は言った。


「でもいいの? 今日は晴れの日だけど。」由利は言った。

「いいですよ。 雨は降っていますから。」美奈は言った。

由利の頬を一粒の雨粒が流れていた。(製作時間210分)

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