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まのいいりょうしのできるまで #2

のちに「風博士の風まかせツアー」と銘打つことになる音楽の旅は、きっちり三年間やった。なぜ三年間だったかというと、両親に、会社をやめてこれこれこういうことをしたいんだ、と伝えたら、父は「ふーん。まあ、いいんじゃない?」といい、母は「お父さんがそういうなら反対はしません。ただ期間は決めてね」というので、とりあえずは三週間くらいかなと思い、「えーっと、うーんと、じゃあ、さん・・・」と言いかけたら、母が僕の言を遮り、「そう、三年ね。まあそのくらいかもね」と言い出したからだった。僕は内心「え?三年も?長くね?」と思ったが、結果的に、この母のひとことがあったからこそ、きっちり三年間、旅を続けることができたように思う。

2008年3月2日、京都の五条楽園から、旅は始まった。所持金は3万円。仕事での肩書きだった専務取締役からすると少ないと感じるが、僕はお金を貯めておくことが苦手で、そもそも貯金もそれほどなかった。それに、身の回りのものを処分すると、それだけで意外とお金がかかる。新作の準備もあった。つまり、旅に出る前、財布の中身をみたらそれだけしかなかったというだけのことだ。この所持金の少なさが、かえって旅の意図を明確にした。音楽で稼げずどこにも行けなくなったら旅をやめる=音楽をやめる。分かりやすい。

そのお金で、カバンと財布と青春18きっぷを買ったら、所持金はほとんどなくなった。京都でお世話になった人に挨拶がてら伏見に寄り、その足で詣でた伏見稲荷のおみくじの「南の方よし」の声にしたがって、とりあえず九州方面を目指して西に向かった。空は快晴。ライブの予定も、お金も、何もなかった。ただ、すっきりした気持ちと、ワクワクだけがあった。

とはいえ、今日この日をどう過ごすか。3月に野宿はちと寒い。たいした防寒着も持っていなかった。揺られる電車の中で、南の方に頼れる友人はいないだろうかと思いを馳せたら、ちょうど愛媛にゲストハウスを作るからいつでもおいでと言っていた友人のことを思い出した。早速電話したら、すぐ来てもいいという。そのまま愛媛に向かった。

そんなふうにして始まった旅は、多くの出会いに支えられて、無事三年間続けることができた。たくさんの場所で歌い、たくさんの人と出会い、別れた。逸話を書けばキリがない。ひとつひとつが、深い思い出であり、今につながっている。

さて、妻と出会ったのもその旅の空であった。旅の終わりの日、すなわち出発からちょうど三年後の2011年3月2日、入籍した。それをもって、我が旅の終結、としたわけである。そして、東日本大震災が起きた。


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