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まのいいりょうしのできるまで #1

2008年3月2日、32歳の春、持ち物も住む家も捨てて、ギターと三日分の着替えとわずかな所持金だけ持って、僕は音楽の旅に出た。音楽で日銭を得ながら旅をする。続けられなくなったら、その時点で旅も音楽も、すっぱりやめるつもりだった。春とはいえまだ肌寒い日だったが、心は晴れやかでウキウキだった。

そこからさかのぼること十数年、立命館大学の学生だった僕は、学友たちと京都でIT関連の開発会社を立ち上げた。集まったメンバーは全員文系で、「理系にはない発想でのアプリケーション開発」が謳い文句だった。

僕の役職は専務取締役だったが実務も担当していて、WEB制作や業務用アプリの開発、当時はまだ新しかったウェブアプリの開発やUIデザイン、果てはプロジェクトマネージメントなど、できることもできないことも、なんでもやったしやってみた。仲間同士ということもあり、忙しくも楽しく、充実した日々だった。

そんな中、風博士というミュージシャンとして音楽活動をはじめた。初めは、上京区にある「拾得」の飛び入りライブデーに出演していた。そのうち、京都市内のライブハウスにも顔を出すようになった。やがて活動の主軸はライブハウスからカフェになり、関西を中心に、いろいろなところで演奏した。関東ツアーもやった。メンバーも増えて、最終的にはバンド形態となり、音楽活動も、それなりに充実していた。

仕事と音楽、どちらも手を抜かず、気持ちの上では両立していた。会社で音楽レーベルを立ち上げて、風博士や有望な音楽家の音源を作ったりもした。しかしながら、会社を始めて6、7年経った頃、仕事と音楽のウェイトに変化が現れ始めた。

デスク仕事に疲れていたこともあったかもしれない。自分の器では抱えきれないくらい額の大きなプロジェクトを任されていたこともあったのかもしれない。当時は無自覚だったがストレスが相当あったようで、朝から晩まで仕事をした後、家に帰って寝落ちするまで狂ったようにギターを弾くという日々が二年近く続いた。そうでもしていなければ到底乗り切れなかったからだと思うが、気がついたら、自分でもびっくりするくらい、ギターが上手になっていた。

そんなこんなで、30才を過ぎた頃には、自分の中で、仕事よりも音楽が大きくウェイトを占めるようになっていた。もっともっと、音楽がしたくなった。突き詰めてみたくなった。それで、32才のとき、およそ十年やっていた会社を辞めて、ギターと必要最低限の荷物以外のすべてを放棄して、旅に出ることにしたのだった。

旅はもちろん、音楽をするための旅である。当時よくあった「東京に出てバイトしながらメジャーを目指す」という選択肢はなかった。年齢も年齢だったし、その未来にはワクワクできなかった。そこで思いついたのが、ギターだけ持って日本全国を音楽しながら放浪するというものだった。どう考えたって、そっちの方が楽しそうだった。

(写真は旅立ちの日、五条楽園の橋のうえにて)


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