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感想レポ:現代アートの哲学
1
なんとなく読もうかな~って思いつつも芸術方面に関心を寄せる機会があまりなく半年くらい宙づりにしてた本。
流石に人間一般を理解するうえで芸術方面からのアプローチは抑えておいた方が良いことを悟り読み始めた。
2
全体として平易かつ面白さも確保されてるのでかなりすらすら読めた。
啓蒙の精神が抱えるジレンマについての歴史的メタゲームの変遷はかなり面白くて、啓蒙に隠れたエリーティズムに対する理解の解像度が高まったと思う。
啓蒙の理解には、”達成される以前の理想”と”達成直前の現実状況”を分けて考えると良い。俗物をエリートの高みまで引き上げる過程の価値基準は絶対判断のように思われ、一見歓迎されるが、差異が薄まると共に価値基準そのものの崩壊が始まる。
3
素人ながら素直に疑問に思ったのは、芸術の価値づけに対して〈真理は芸術に宿る〉or〈真理は鑑賞者に宿る〉の二択しかないように思われたことだった。(読みが浅く誤りの可能性が大)
「芸術は真理を招来する秘蹟(サクラメント)である。」
と捉えれば良くないか?芸術を秘蹟と捉えて、エリートを敬虔な司祭、大衆を離教者と捉えればこれは中世神学が直面した秘蹟論争、つまりは「離教者が与えた秘蹟には価値があるのか?」という問いとそのまま同型になるのでそこでの議論をそのまま流用できる。
もし太陽の明光が異臭の場所を通過しても汚濁にけがれることがないとすれば、太陽の明光そのものを創るものの力は、明光にもまして、不適格な僕=聖職者のゆえにさまたげをうけることはないからである。
まあ、フレーム問題を回避するため価値基準を超越的な外部に移してしまおうというアプローチは汎用なアイデアであることの自覚はあるし宗教を安易に取り出して0から1を生み出すのは最終手段だろって感じもする。秘蹟論争も昔『正統と異端』を読んだきり内容を全然覚えてないので的を外している気しかしないが、せっかくだしアイデアの検討をしてもいいように思える。
4
素朴な価値が揺らいだ末に現れた現代の「寄生の美学」についての話も面白かった。
現代の消費社会は大量生産される商品においてそれ自体に特別な価値は特にないので、広告のとる手口は消費者が持つ既存の共有された感性コードに寄生する。(葛藤→商品→成功)(伝統的物語形式への寄生)
これについてはもう少し批評的な文を読みたいと思ったが、ポストモダン系の社会学本はもう飽きちゃったんだよなぁ…と思う気持ちもある。
”「魅力」は近代の産物”というフレーズは年に一回くらい擦りそうで知ってよかったね。
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