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わたしが地方公務員をやめたワケ

 2001年4月に地元市役所に入職、2018年3月に退職したわたし。
 人口3万人を切るかも、っていう地方都市でこの退職には賛否両論、「もったいない。」という意見が多かった事は、大体の方が想像できるかと思います。
 やめて5年目に入ったし、そろそろやめたワケを吐露して、モヤモヤしている地方公務員さんが少しでも何かスッキリ!してもらえたら、と思いnoteすることにした次第。

 元々、生まれ育った地元で暮らしたい、公務員になりたい、人の役に立つ仕事に就きたい、とかっていう夢、目標があったわけでもなく、それまでの成り行きで目の前にあった機会にチャレンジしたら公務員になっていた、みたいなわたし。
 入職後5年くらいは、本当に申し訳ないというか、場違いなところにいる感覚を感じながらも、周囲に恵まれてそれなりに充実した毎日を送っていました。

 ハンガリー共和国に2年半、滞在していた経験もあって最初は国際交流を担当する部署に配属になり、姉妹都市協定の仕事にも恵まれました。
 その後は社会教育、生涯学習、文化財保護を担当する教育委員会。
 その後は観光、産業連携、農業と渡り歩きます。

 いわゆる「THE 公務員」的な直接税金を扱ったり、福祉分野には一度も携わることなく、現場がメイン、瞬発力、企画力も問われる部署ばかりに所属しました。当時はまだ、女性職員は庶務的な業務をやっていればよい、早く結婚しなさい、スカートは履かないの?茶碗洗って来て、と言われるような時代で、窮屈な想いもありながら、自分は自分、と言い聞かせて毎日の仕事がどうしたら楽しくできるかばかり考えながら、好奇心を持って取り組んでいました。

地元の特産品「日本短角種かづの牛」のPR、販促してた頃。
なまはげは「男鹿市」で「鹿角市」の行事ではありません。あしからず。

 当時、男性と同じように扱って欲しいとは思わなかったけど、女性でも政策立案してリーダーになる人がいたって良いじゃん、と思いながら、おかしいと思う事は遠慮なく発言して、それを良しとしてくれる上司、先輩に恵まれわたしは比較的のびのびと仕事をさせてもらっていました。これは本当に今でもありがたい事だったと感謝しています。
 そんな日々だったので、現場で感じるいろいろな課題を解決する策を関わってくれた市民と一緒にお酒を飲みながら話し合ってみたり、外部のアドバイザーやコンサルの方、大企業の方とアレコレ練ってみたり・・・徐々に段々と「市役所」という組織にいてはここまで練り上げた諸々も異動という宿命に翻弄されるのではないか、行政でできる事の範囲を越えたいのに越えられない感じがする、といった漠然とした不安を抱くようになります。
 農業部署3年目くらい、2015年くらいです。

 そして本格的に退職する決意をしたのは実に急な展開からでした。 

 2017年の6月くらいに、体調が悪く(更年期障害が始まっていたのかもしれない、今思えば。)数日定時に出勤できない日が続きました。当時、結構自由というか、わたしの特性を容認してくれていた優しい職場だったので、ただ頭を下げて謝っていたんです。その時は上司も部下も、特に叱る訳でもなく、いつものアレですよね、ハイハイ、みたいな反応でした。
 そのまま数週間たったある日、出勤してすぐ上司に呼び出されて、突然、「役所辞めたら?」と言われます。理由は「お前、ちゃんと朝出勤できてなかったし、このままじゃ役所でリーダー(係長級とか)にはなれないよ。」「自由に働きたいなら、辞めた方がいいと思う。」と。

 数分間、何が起きたのかわからん状態で、「あぁ、この前の遅刻の事をさらに上に言われて、私情(わたしの性格とか辞めたいなぁって思ってる事とか考えてくれて)も入れて優しさで言ってくれてるんだろうな。」ととっさに感じ取ったわたし。
 人のせいにはしないけど、トリガーを引かれた感覚はこの時確実にありました。体調悪かったのか?何か遅刻が続いてしまう理由があるのか?悩みや困り事とか抱えてないか?と聞くこともなく、いきなり辞めた方が良い、は衝撃的な会話でした。
 でも冷静に考えたら、上司の言うとおりだなって身体に何か落ちてはまる感覚がありました。恵まれた(ぬるくてもそれなりに充実する)環境に甘えて調子こいていたんだな、このままでいいのか?良くないわな。社会人として落ち度がある事も正していかなきゃな。あえて厳しい環境に身を置いて成長せねば。
 そう気持ちが落ち着きました。

2017年の2月にパリに遊びに行った。
プラダとか行く?って聞かれて、いや、マルシェとかスーパー回りしたいと歩き
農業大国フランスを体感した事もやめようかと考え始めた一つのきっかけ。

 そこからの数ヶ月、深く、でもドキドキしながら本気で退職する事を考え始め、友人や家族、信頼している方々にも相談し自分なりにどう生きていきたいか、向き合う時間が続きました。

 わたしは器用ではないから、こうしたらこうなる、あぁしたらこうなる、をアドバイスで聞いて頭でわかっていても、やってみなきゃわかんないしな、というのが根底にあって何でもやってみたくなる性分。
 しかも、独身で持ち家もない。結婚の予定も全くない。超安定した収入がなくなるだけなら、安定した収入になる仕事を構築すれば良い、うん、鳥かごから飛び立つ時が来たんだ!
 ・・・その時もわたしは単純かつ前向き、意気揚々だったんです。

 でも世の中そんなに甘くないというか、わたしの考えが甘いんですが、公務員気質が染みついた頭、感覚で考えつく事業は何だか公益的になってしまい、儲けが出にくい。儲けにしようとすると途端に田舎だと受け入れられにくいモデルになってしまう。経営感覚、知識がないのだから当然です。
 結構、うなだれて途方に暮れる瞬間も多かったなぁ。
 当時クラファンやローカルビジネスへの投資は今ほど多くなかったし、退職後のシナリオをうまく組み立てられない状況に気づき、今辞めるのは時期尚早、ビジネスモデルを構築できるまでは公務員で頑張ってみた方が良さそうだ。退職を延期するしかないか。と一回保留にしたのが2017年11月。

 そしてまた運命となる12月がやって来ます。


                             ・・・続く


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