冷たくて痛い豆腐ハンバーグ
小学生の時に母から料理を教わった。
特に小学5〜6年の時は季節ごとにテーマとする料理があって、1人で作れるようになるまでチャレンジした。
春は親子丼。
今思えば、イースターエッグを作るために取り出した、形を留めない白身と黄身を使うのに最適だったのだろう。
夏はナポリタン。
午前授業の土曜定番のメニューだった。土曜日のお昼は麺料理が多く、焼きそば・おうどん・ラーメン、それかナポリタンやミートソースなどのスパゲティ。
小学校から帰ると玄関にたどり着く前に台所の勝手口を先に通るため、そこから玉ねぎが焼ける甘い匂いがすると「あ!今日はナポリタンだ!」と嬉しくなって、玄関ドアを開ける場面を今でもよく思い出す。
夏休みにナポリタンに合うお肉はベーコン・ハム・ウインナー・ミンチのどれかを私の中で順位をつけるため、夏はナポリタンの作り方を教えてもらい、勝手に選手権を行った。
ちなみに優勝はウインナーである。
秋はスイートポテト。
なかなか納得できる食感にならず、父に「また作っとるんか」と言われるくらい、何度も何度もさつまいもを練った。
そして冬。手を凍らせながら作る豆腐ハンバーグ。
これが1番鮮烈な記憶かもしれない。
・・・
この頃は都内に住んでいたのだが、昔ながらのお豆腐屋さんが家の前を通る地区だった。
自転車をゆっくり走らせながら、独特のラッパの音色を響かせるお豆腐屋さん。夕方、「パー、ポー」っと聞こえてくると、ホーローのボウルを持って家の前に来るのを待つ。
豆腐を一丁くださいというと、目尻が下がりっぱなしの優しそうなおじさんが自転車を降り、荷台に積んである木箱を半分開け、小鍋で豆腐をすくった。
外気で冷えたホーローのボウルに、これまた冷えた豆腐を入れて、お代を渡す。おじさんは、その小銭を前掛けのポケットに入れながら自転車に乗り、ラッパを鳴らしながら次の地区へ移動していく。
私は見送りもそこそこに、寒いので急いで家に戻る。
そうしてキンキンに冷えた豆腐と、冷蔵庫から出したばかりの挽肉と卵を混ぜ、素手でこねる。
あの冷たさは衝撃だった。
母らいつも、こんな冷たい思いをして作っていたのかと驚いた。同時に、いつも食べる熱々のハンバーグからは想像も出来なかった工程があることを思った。
これは親子丼、ナポリタン、スイートポテトでは知ることのできなかった感覚である。
あまりの冷たさに何度も手を止めるが、「冷たいうちに混ぜないと美味しくなくなるから!」と涙目になり、体をねじらせながら、ひたすらこねたあの冬の日。
それは、冬のハンバーグの冷たさと痛みと同時に、足から冷える冬の台所の寒さと、そんな文句を一度も言ったことがない母の強さに触れた日でもあった。
冷たく、痛く、寒い思いをしながら作ったハンバーグを二口三口で平げ、「まぁ普通」という感想を言った兄に、噛みついてやろうかと思ったこともセットで思い出されるあの日を、何故か最近何度も思い出す。
あの日また一つ大人の階段を登った。
少し前まではそう思っていた。
・・・
冷えたホーローから伝わる寒さ。
冬の日に来るお豆腐屋のおじさんの笑顔の温かさ。
美味しさを求めるためにこねるハンバーグの冷たさ。
その冷たさから来る手先の痛み。
日頃文句を言わない母の強さと優しさ。
そんなことも知らない兄の憎たらしさ。
そんなシンプルじゃない。
目に見えないいろんな気持ちや感覚が混在したあの日。
思い出すようになった理由は、あの日が「私がひとつ大人になったから」ではない。
様々に渦巻く思いを受け入れるだけの余裕が、いま、私に生まれたからだと思う。
つまり、大人の階段を登ったのは、体験をした「あの日」ではなく、混在した思いの全体像を受け入れた「いま」なのではないかと思う。
・・・
言いたいことはひとつ。
経験が人を大人にするのではなく、
それを受け止められた時、初めてひとつ階段を登る。
学校を卒業しても、心が卒業できていないこと。
社会人になっても、心がまだ学生であること。
失敗しても、心がまだ失敗を認めていないこと。
私は思い当たる節がたくさんあるのだけど…。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。