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みんな特別になりたいのです
会社への行き帰り、なるべく道を変えている。
昨年4月に転職をしたので、もうすぐ1年が経とうとしている現在の職場の通勤は、会社の最寄り駅から会社まで、少し坂の多い道のり。行きは下るだけだが、帰りは上りばかりなので、朝会社へ向かう道と帰り道は違うことの方が多い。
様々な経路を模索している中で、誰も通らない小道を見つけた。いつもより早く家を出て時間があったから「この道はどこへ通じているのかな」と、なんの確信もないまま歩いた道が、意外にも会社への抜け道だったという、偶然の発見だった。
ほぼ私道のような道は、年明けに発見した抜け道なのだが、300mほどあるにも関わらず、未だ誰ともすれ違うことも、私以外の人が通るところも見たことがない。
これがすごく嬉しかった。
この道が特別な道なような気もしていたが、少しずつこの道を通る私が特別のような感を味わうことができる。
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人というのは、きっと特別になりたいんだろうな…と思うようになった。自分は特別な人間だと思う要素を求めているように思う。
求める特別にも2種類あると考えている。
1つは、自分が自分を特別だと満足できる存在になること。
私は唯一無二の存在であると自信が持てている、もしくはそうなるべく努力をしたり、途上であったり。
当の本人は「特別になりたくてやってるわけではない」と思うかもしれないが、おそらく潜在意識の中にでも特別な存在になりたいという動機は少なからずあるはずだ。
そして、もう1つは誰かの特別になること。
家族以外の第三者から、特別だと思ってもらいたい。そして、特別だという証明をしてほしい。もしくは特別だと言って欲しい。
どちらにしても、特別って「好き」ってこととほぼ同意なんじゃないかと思った。自分で自分が好きか、誰かに好きだと思われる存在になりたいのでは。
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私の初めての彼氏は中学1年生の時だった。
しかし、付き合うといえどその時にできることは一緒に帰るとか、家まで送ってもらうとかがほとんどである。
でも、正直「彼氏が欲しかった」というわけでも、「誰かと下校したかった」というわけでもない。好きな人の「特別」になることが必要だったのだと思う。
これは中学1年生だけの概念ではない。
結局、「今、あなたが特別です。」という宣言が付き合うということで、「これから先も、あなたを特別な存在とします」という契約が結婚、ということなんだと思っている。
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好きという気持ちは、「特別」ということの証明ではないかと。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。