見出し画像

誰かを評価したいときは

母と前の家の掃除をした。

1人では終わる気がしなくて、誰かと一緒にやりたくて、ついつい母に声をかけてしまった。

母と一緒だと、掃除も楽しい。

好きな曲をかけながら、あーじゃこーじゃ他愛のない話をしつつ、それでも手は動かして…と効率も良くなる気がする。

それは適度に気を抜いて、楽しみながらやっているので、休憩時間を取らなくてもいいからというのも理由の一つだと思った。

床の掃除に飽きたらトイレ掃除をして、それも飽きたらゴミの分別をして、1人じゃ「飽きたからちょっと休憩」と言ってスマホを見る時間も、母と一緒ならなくていい。

案の定、3.4時間(もっとかかると思ってた)で最後の荷造りと掃除を終えた。

・・・

末っ子である私は、褒められることが多かった。

それは、ただただ猫可愛がりされてたということもあるし、姉や兄の所業をみて、何をしたら怒られるのかを学んでいたからだ。

お姉ちゃんと違って…
お兄ちゃんよりも…

そうやって褒められ続けた私は、何か褒められるたびに「お姉ちゃんと違う?」「お兄ちゃんよりも?」と、比較して褒められたい気持ちが強かった。

それが原因で、子供部屋に戻ると姉や兄にいじめられることもあったが、それでもその癖は直らなかった。

・・・

母は褒め上手だ。

比較して褒めるのは、どちらかというと父のことが多く、母はどちらかと言うと私個人として褒めてくれた。

…というよりも、認めてくれた。

母は褒め上手だと思っていたけれど、実は私を認めてくれていただけに過ぎない。

今回掃除をしていた時も、「もうこんなに出来たの?」と驚く母に「お姉ちゃんよりも?」という言葉をグッと飲み込み「へへへ」と照れていたら「いろはは頑張れる子よね」と言った。

「もうこんなにできて"すごいね"」とか
「頑張れる子で"偉いね"」とか。

そうやって、おだてすかすのではなく、私の行動をそのまま言葉にしただけ。

それでも十分嬉しく、満たされた気持ちになった。

・・・

誰かを評価したい時、無意味におだて、褒めちぎる必要はない。

やったことをありのまま伝えるだけでいい。
見えるままを認めるだけでいい。
誰かと比べる必要もない。

綺麗になった部屋を見て、気持ちがいいと言った母。

ただその一言で、頑張って良かったと思った。




母はすごいな。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。