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視点を変えるだけでは不十分

「めでたし、めでたし?」と題して、涙を流す鬼の子と共に、子どもの手書き風に『ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました。』書かれた広告が、数年前に新聞広告のコンテストで最優秀賞を受賞した。

この広告はとても話題になった。5年以上は経っているであろう今でも、この広告についてのコメントが耳に入ってくるくらい。

昨日のnoteで、私は肯定的な考えを持ちやすいという話をしたのだが、そんな私でもこの広告は最初からあまり好きではなかった。評価する人も多く、「もし桃太郎が鬼にも家族がいることを知ったら、どうしたいと思うだろう」という投げかけで学校の道徳教材にまで使われたりするらしいが…賞賛のコメントを見ると、やや疑問を感じる。

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評価された意味…というか最優秀賞をとるだけの理由は、分かる気がする。誰もが知る題材を用いて「視点」を変えることの必要性を訴えかける"エッジの利いた作品"と称されており、結末が正反対に入れ替わるという上ではインパクトの強いメッセージであると思う。

また広告下部に小さく書かれた「一方的な「めでたしめでたし」を生まないために。広げよう。あなたがみている世界。」という言葉が、この広告の本質であることも理解が出来る。

視点を変えれば世界がガラリと変わる、ということを改めて気づかされる作品であるので、その部分においては評価を認めざるを得ない。そして、見た者の心に一石を投じる意味であれば、納得が出来る。

しかし、忘れてはならない。
この鬼の子もまた、偏った考えであるということだ。

賞賛のコメントの中には、鬼の子に肩入れをしすぎているものも多くあった。「確かに、鬼の子供がかわいそうだ」「正義を振りかざして懲らしめるという考えはよくない」「悪が罰せられるのは当然という考えを改めなければならない」等。また「警察は街で暴れて人々を困らせた犯人を捕まえて、犯人の家にある大切なものを持って帰っていいのか」という意見は話にならないし、「泣ける」という人たちに至っては呆れてものも言えない。

結局偏った意見にしかなっていないからだ。それこそ、この広告を作ったクリエイターの意図に反しているのではないだろうか。

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正しい解釈をしているように見えて、実はそうではないということに気付いてほしい。起こった問題に対して正しい解釈をするために必要なのは、双方の視点だけではない。時代背景はどうだったか。過去に何が起きていたのか。ありとあらゆる理由があって問題は起きるものだ。その因果にのみ注目するべきであり、「感情」を先に立たせると誤った解釈をしかねない。

広げるべき世界は、視点や感情だけではない。また、感情を優先させることで、見えなくなる世界があるということ。その逆もまた然り。

そして、好きじゃないといいつつ、結局この広告で思考を巡らせてしまったという意味でも、最優秀にふさわしいものであったということだな。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。