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プディングの味は食べなきゃ…

仕事で手に入れた思考や知恵は、私生活でも取り入れるようにしている。

なんだかんだ言っても、私生活での習慣は、仕事でもふとした時に出てくるものだと思うし、何より良い思考や知恵というのは私生活でも十分に活かせるものだと思うからだ。

最近の学びは「良い質問はとは、分からないものの答えを聞くものではなく、自分の中にある仮説を検証するためのもの」ということだ。

以前、「何か質問はありますか問題」という記事を書いた。
「何か質問はありますか?」と聞かれて質問が出てこないのは、講師側と受講者側、双方に問題があるという話なのだが、これを解決するための糸口になるのではないかと考えている。

間違っていてもいいから、聞いた話を受けて自分なりの仮説を立ててみる。これは興味を持ち、実体験や見聞を通して築く必要があるが、そうすれば質問は自ずと浮かび上がるものだし、質問された側も何を答えるべきかが明確になる。

この考えは私が考えたわけでも、新しい発見の見聞でもなく、以前からビジネス書やコラムで言われていたことだ。なんとなく聞いたことがあるな…という説ではあったが、仕事上質問をする側・される側の経験をしたからこそ、改めて納得が出来たのだと思う。

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様々な定説や思考法などは、大抵のことは理解ができる。しかし理解できるものの中で、納得できそうなものと、そうでないものを自分なりに考えてみる。しかし、それだけでは満足ではなく、納得できるかできないかは最終的に経験を踏まえて吟味するまでは判断するべきではない。

そんなことも昔から言われていることだが、毎日のように思い起こしておかねばつい忘れて、頭の中だけで判断してしまうことが多い。本当に自分の記憶力が恨めしい。

しかし、だからこそ先人には感謝できる。
私が考え抜いて気づいたと思っている答えも、もうすでに様々な人たちが言葉にしてくれているものだ。四書五経やことわざなども馬鹿にできない。

言葉を知っているだけでは不十分だ。腑に落ちるまで吟味し、考え、実践を繰り返すことで、その言葉は血肉となるんだろう。

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さて、「仮説を立てる」ということを私生活でも活かそう…と思ったのだが、少し注意がいると思った。何故なら、私は何かを決めつけて話をされるのが苦手だからである。

かくいう私もついついやってしまうのだが、この人はこういう人なんだろうな…と考えていても、当たるも八卦当たらぬも八卦。

仮説は人物ではなく、事象に対してのみ行うべきかと。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。