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言いたいことの何割を

私の職場では、毎週月曜日に朝礼を行う。そこでは連絡事項を共有するとともに、毎回2人ずつ業務報告と小ネタトークをする。順番は50音順に組まれており、年2~3回まわってくる段取りとなっている。

今週は私の番だった。
仕事上、研修などが多いため初対面の人たちの前で話すということは多くあるはずだが、なかなかどうして知っている人たちの方が緊張する。

結果、終わってみたら言いたいことの3割も話すことが出来なかった。

所要時間は正味5分にも満たなかっただろう。メモを見るほどの内容でもない。考えながら話をする程度で十分なのだが、なぜこんなにも満足にできないのかと、情けなくなった。

緊張の有無にかかわらず、もっとうまく話すことが出来たなら…と。

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思っていることや考えていることを伝えたとき、どのくらい相手に正しく伝えられているのだろうかと確かめたくなることがある。私はこれまで、言いたいことの何割を、人に伝えることが出来たのだろうか。

体感としては1割にも満たない。だか、正しく伝わっているかを測るものさしはなく、実際にはそれを知る術はない。

このnoteもそうだ。
私が言いたいことの何割を、私の思う形のまま届けることが出来ているだろうか。地図のように、縮尺1/100とまではいかないまでも、輪郭や色形を留めたまま相手に伝わってほしいと願うが、実際にはそうはいかない。

よく"頭のいい人というのは「簡単な言葉」で説明できる人"というような説を聞く。少し前まではそのような気もしていたが、最近は疑問を抱くようになった。

「簡単な言葉」である必要はない。最終的に「正しく相手に伝わる言葉」を使える人なのではないかと思っている。

ネット上の会話やプライベートの会話の中でも、「思い通り伝わらない」事例は多い。「そんなつもりで言ったのではない」「んー、言いたいこととはちょっと違うんだよな」とため息をつくことは少なくない。

また、目の前で行われている会話や、ネット上のやり取りなんかを見ていても、どこかチグハグで、なぜこうなるのだろうと思ってしまう。

では、逆の立場ではどうだろうか。

私自身は発信されたメッセージを、どのくらい正しく受け取ることが出来てきたのだろうか。プライベートでも仕事でもnoteの記事でも、相手の伝えたかったことの何割を、理解することが出来ていたのか。

そう考えると、途端に自信がなくなってきた。

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創作活動を行う上で、意識しなければならないことだ。読み手を信頼することも、想像の余白を与えることも必要なので、すべてに意味を持たせる必要はない。

しかし、必ずここは外せないという肝の部分は、正確に、十全に伝える力をつけるべきである。noteでも仕事でも隣にいる人にも、伝えたいことは正しく伝わるように。

だらだら説明すればいいということではない。端的に、なるべく少ない言葉で伝えられるようになれたら理想的だと思っている。

まだまだ私には言葉が足りない、という話。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。