誰からも好かれるという虚構
梅の花が蕾を開きはじめた。
春の花と言われれば、桜というのが当たり前になっていて、しかしその中でも「私は桜より梅の方が好き」という人は一定数いるものだ。
誰からも好かれる人はいない。
誰からも好かれる人を、好きになれない人が必ずいるからだ。
ただのあまのじゃくか、本当に魅力を感じないかは定かではないが、これは誰にでも思い当たる節があるのではないかと。自身でそういった思考を抱いたり、周りに主流拒否派の人はかならずいるだろう。
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インディーズから大ファンだったのに、メジャーデビューし人気が出て、紅白に出て、誰もが知るバンドになった瞬間に熱が冷めていくような人にも当てはまる感覚だろう。
私の友人にも、そういう人がいる。3年ほど前の改名当初からKing Gnuのファンを公言していた彼は、周囲の人間に布教活動をしていた。
彼らは昨年1月にメジャーデビューをし、ドラマのタイアップになった「白日」を機会に、その名は全国区になっていった感がある。
昨年の夏頃、私はその曲をずっと「白目」だと思っていたという話をしたら、別の友人は「自白」だと思っていたと。私自身も間違えて、漢字のふんわりとしたイメージで覚えていたので人のことは言えないにしても、さすがに「自白」はないだろうと笑い合っていると、ファンを公言していた彼はすごく不機嫌になった。
私から見れば、忠誠心の高いファンだと思っていたのだが、今年に入り、久々に会ってその話をしたら彼は「まぁ仕方がないな」と笑った。驚くべきは「そんなことより、今推しているバンドが…」と違うバンドの話をし始めたことだ。
あ。そうか。
彼の中の熱は冷めていた。
もちろんそのような気持ちは、私にも経験があるので、理解もできるし、非難するつもりはない。あまのじゃくという部分においては、私もそちら側の人間だと思うので、良い理解者になれるはずだと思う。
それにあまのじゃくでもなんでも、意外とそういう少数派愛好家のような人の方が、熱心に作品そのものを評価してくれる存在であるように思う。
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創作活動やnoteを続けていくにあたって、こういう人がいる事は、忘れてはならないだろう。
だから、万人受けするようなもので無くていい。自分が納得出来ることの方が大切で、評価される事も受け止めつつ、最後は己と作品次第だと。
もちろん評価してくれる人が、増えればこの上なく嬉しいけれど。少なくても、憂う事はないと思ったのです。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。