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それが何より楽しくて

これは、あくまでも私の場合。

毎日エッセイのような徒然散文を書いていく中で、様々な"noteあるある"が見えてきた。

毎日毎日書いてはいるが、スラスラかける日もあれはまだ、絞り出して書く日もあること。

スラスラかければ良い記事になる、というわけでもなく、絞り出して己の評価はイマイチなものが意外にもたくさん読まれたり、スキをいただくことが多いこと。

事実、これまでnote編集部の方々に取り上げていただいた「物語に存在する悪」「結局、人としての魅力が大切」の2つの記事は、スラスラかけたわけではなく、あまりにもうまく書けないので半ば諦めに近い気持ちで投稿していたこと。

ネタがないから…と、他の人のnoteを読み漁っても、ますます書けなくなること。

また、他所様のnoteから着想を得たエッセイは、自分も気に入らず、評価もされない場合が圧倒的に多いこと。

そして、そういう記事は時が経って読み返したとき、「こんな記事書いたっけ?」と全く記憶に残っていないほど、自分の記事としての自覚が持てないこと。

閲覧数もスキの数も少なく、簡単に言うと「ウケが悪い」記事の中に、実は自分のお気に入りの記事があること。

空腹時が1番書けること。

そして、最近見つけた"あるある"は、ネタが枯渇している状況で、どうにかこうにか書き終えた記事を投稿した瞬間に、書きたいことが頭の中をふわふわと漂っていること。

そういった内容を「明日の記事にしよう」と思っても、何となくうまくまとまらなかったり、呆れることに翌日は書きたかった内容をすっかり忘れていたりすること。

・・・

毎日記事を書き続けて9ヶ月。

実は、毎日noteを投稿していることは、結構優秀な方だということがわかった。

とは言え、「毎日投稿」「毎日note」というタグをよく見るし、私がフォローしている方や定期的に記事を読みに行っている方の多くの方が毎日投稿をされているので、あまりすごいことという実感がない。

それに、毎日余裕で書いているような人や、1日に複数記事を投稿している人なんかもいるので、上には上がいるなぁ…と思う。

もっと涼しい顔してサラサラと書けるようになることが理想だけど、現実は必死のパッチで頑張って絞り出して書いている。

書けない日は、本当に辛い。

でも書く。
なぜなら、辛いながらも書いた先に、自分では想像もしていなかった考えや結論に出会うことがあるからだ。

私は書く前に、構成を考えたり、あまり緻密な計画は立てずに書く方である。

だけど、なんとなーく書きたいことを頭に浮かべ、「こんな結論になるかな?」と予想しながら書いていても、書き終えたときに全く違う結論に着地していることがある。

私の場合、最近身の回りで起こったことや思ったこと・思い出したことから始まる書き出しから考える。

書き出しが決まったら、結論をぼんやりと想像し、そこへ行くためにはどんなことが書けるか、どのように発展できるかをできるだけたくさん頭の中で風船のように浮かべて漂わせ、書きながらひとつひとつの風船を回収していくようなイメージだ。

そうやって、風船のような思考の手がかりを回収していって、最終的に見える結論が、全く想像していないものになっていたりするのだ。

それが何より楽しくて。

・・・

「個人差はあります」案件だとは思うけれど、自分に合ったnoteの書き方や作風・プロセスは、あらゆる創作活動とリンクしているんだろうと思う。

いろんな方法を試しながら、創作の幅を広げられたらいいなと思いつつ、今日だってこんな結論を想像して書き始めたわけではないのにと思いつつ…。


今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。