細かなニュアンスに宿る思考
職場のフロア移動があった。
元々は地下一階のフロアを使用していた私の部署は、三階へとお引越しすることになり、先週から荷造りやら家具移動を行い、ようやく昨日荷解きまでを終えた。
お引越しの過程で、たびたび「あー、こっちを先に詰めれば良かったー」とか、「まだあの荷物を持って行くべきじゃなかったー」と思うことがあった。
業務に支障はないけど、その方が効率よくスマートだったと、後で気付く場面がいくつかあったのだ。
こうするんじゃなかった。
ああするべきだった。
そっちにしときゃよかったのに。
そんなことを考えながら荷造りした。
・・・
それらの言葉は、悪い呪文だ。
自分自身を陥れる言葉である。
そんな些細なことで「するべき」とか「こっちがよかったよかった」と追い込むなんて、なんと優しくない思考だろう。
「こうするんじゃなかった」なんて、自分の行動を否定して。
「ああするべきだった」と、過去の自分に対して、なんと上から目線な態度だろう。
「そっちにしときゃよかったのに」は、後出しジャンケンみたいなものだ。
どの言葉も、呼応のように続く言葉は「だから私はダメなんだ」となりやすい。
言葉にはせずとも、そうやって知らず知らずのうちに自らを追い込む言葉が癖になっている人は、きっと私だけではないだろう。
・・・
「こうするんじゃなかった」ではなく、
「こうしてもよかった」がいい。
「ああするべき」ではなく、
「次はああしよう」と思いたい。
「そっちにしときゃよかったのに」ではなく、
「他にはどんな方法があるか」と前を向いていたい。
もう少し自分を甘やかしてあげよう!
などと言いたいのではない。
こんな小さな違いだけど、細かいニュアンスにこそ、人の思考は宿り、引っ張られやすいということを肝に銘じておきたいのだ。
他人への言動も同様だ。
自分だけでなく家族や身近な人に言ってしまっている人は要注意ですよ、ということ。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。