経験という名の予防接種
戻りたい過去がない。
約8年住んだアパートから引っ越した1ヶ月経ち、ふと思い出すことはある。
引っ越し先から職場に行く電車の中で毎日通り過ぎるし、私の人生34年の中で最も長く住んだ家ということもあり思い入れもある。
しかし、だからといって「あの頃に戻りたい」という気持ちはない。失くなってしまった寂しさのようなものはあるが、今はもう良き思い出としてのみの存在である。
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やり直したい過去がないというのは幸せなことだ。
あの時こうしていれば。
あの日、もしもこうしていたら。
それらは一種の呪いみたいなもので、一度そういう感情を抱くとそこからなかなか抜け出すことができない。
偉そうに言っているが、私にもそんな呪いにかかったことはある。
いつまでも引きずって。
未練ばかりの時間が過ぎた時期だってある。
今思い返すと無駄な時間を過ごしてしまったとは思うが、あの日あの頃をやり直したいとは思わない。
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嫌な思い出を振り返ると「やり直したい」と思う人が多いと思うが、やり直したいと否定するのではなく、一種の予防接種のようなものだったと肯定してみるのはどうだろうか。
私で言えば、未練たらたらな今考えると恥ずかしいような過去も、あの時どっぷりと無駄な時間を過ごせたからこそ、今は「無駄だった」と認めることができるように。
兎角、嫌なものや辛いことを軒並み排除しようとする動きはあるけれど、ある程度は「予防接種」だと受け入れてみる方が、経験値も上がるし、視点も増えるのではないかと思う。
思い浮かべる辛く苦しい過去は、予防接種のように、力となり、強さになり、支えてくれているのでは。
今、この時この瞬間が糧となる日もきっと来る。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。