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美しい額縁に入った美しい小説は…

学生時代、私が書いた小説を読んだ恩師に「美しい額縁に入った美しい小説は美しくない。」と言われたことがある。自分の作品に自信があったが、その自信を疑うようになったのはあの頃からだ。

その指摘は、私にとって非常に曖昧でぼんやりとしたものだったが、良い評価ではないということだけはっきりと分かった。
では、ピンポイントでどこの表現がそのような思いにさせたのか、どの部分を直せば美しい作品となるのか、という教えを乞うも、それは私自身で見つける必要があると言われて終わった。

先日書いたこの記事の続きにもなるのだが、美しいことを伝えたいときに「美しいものです」と折り紙付きで表現することは美しくない。

この記事を書いて気づいたのだが、
もしかして私は作品は表現や言葉の一つ一ひとつに対して「綺麗に書こう」と思うがあまり、読者にとってはうっとうしく思えるのではないか。

思い当たる節はある。特に情景描写が多く、花だの空だの香りなど「美しい」と一般的に思われるものを、さらにどれほど美しいかと求められてない押し売りをしていたのかもしれない。

例えていうなら、パンケーキにタピオカを乗せ、バナナジュースをかけて「これが流行っているんだよ」と訳知り顔で差し出しているようなものだ。
(もうパンケーキは流行ってないか。)

話は逸れたが、要は読者を信じるべきということなのだろう。作品が本当に輝くものなら、書かずとも届く。そして、ただ美しいものを並べるのではなく、読み終えたときにキラッと光る何かが1つでもあればいいのだと思った。

「美しい」と書かずに「美しい」と思わせる。
字面でダラダラ述べるのではなく、どう気づかせるかが書き手に求められる技術なんだろう。

では、私はどう変化していくべきか。
この答えはまだ見つかりそうにないが、これらから学んだことがある。

人は指摘されることで成長するのではない。
その指摘が腑に落ちた時、初めて成長するチャンスが与えられるんだと。

ということで、もう一度小説書いてみます。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。