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決めなくたっていいのだ

着たい服を着るべきか。
似合う服を着るべきか。

どちらの意見もある中で、現状の世は「着たい服を着るべき」に軍配が上がっているように思う。

間違った個性や主義の尊重だと思うこともあるが、他人がどう思うかは今それほど関係ない。

私がどう思うか。

着たいという欲求か。
似合うという評価か。

私に必要なのはどちらだろうか。
そう考えた時に、「これは決めなければならないことか?」と思ってしまった。

・・・

「承認欲求が強い人」という定義があるらしい。

誰かに認められたい。
人よりも優位でありたい。

そういう欲が強く、周囲にも伝わるくらい全面に押し出す人が、そう呼ばれるらしい。

これは私の主観なのだが、承認欲求が強い人に限って「着たい服」を着ているイメージだ。

個性だなんだといって着たい服を着て、SNSやネットの中で主義主張を振りかざしている気がする。

認められたいはずなのに。

認められれば似合う服を着ればいい。
着たい服を着るなら、評価に繋がりにくいことを自覚して着るべきである。

ここで言いたいことは、この2つを見た上で「私はどちらにする」と決めつけるべきではないということだ。

・・・

兎角、何かを決めることで人生を紡ぐ私たちだからこそ、2つの意見に出会った時に「自分はどちらなのか」を決める癖がついてしまっている。

でもきっと、全てのものを取捨選択する必要もないのだろうと思う。

決めなくていい。
変わってもいい。
ずっとじゃなくていいのだ。

反復横跳びほど行ったり来たりする必要はないけど、ケンケンパくらいの割合で行ったり来たりしてもいい。

むしろその方がいい。

何を優先して、今何を求めるか。
今日は似合う服を。明日も似合う服を。
明後日は着たい服を着てみようかな。

そうすれば、どちらの良さも分かるでしょう。
自分にとってどちらが必要なのかも、やってみなきゃわからないので。

2つの意見というものはそういうものかと。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。