天才たちの言い訳
「言い訳」と聞くと、ネガティブなイメージを抱いてしまいがちである。
しかし、行動に付随する根拠の主張であるならば、必ずしもネガティブ要素だけを孕んだものではないはずだ。
世に天才と呼ばれるような人たちを見ていると、凡人代表の私との違いはなんだろうか。そう考えてみると、違いの一つは「言い訳の対象」にあるのではないかと感じている。
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例えば、芸術家の場合。
納得いく作品ができない時に、「イメージが湧かない」「気分が乗らない」「環境が悪い」「時間がない」と自分や他人・環境を理由に言い訳をするのは凡人。
しかし、天才はそれをしない。
納得いく作品ができなくても、ある程度自分の不甲斐なさを認めた上で創作活動をひたすら続け、衣食住や人間関係の一切を犠牲にしても自分が納得する作品ができるまで創作に挑み続ける。そして、ついに作品が完成した後で、犠牲にしてきたものに対して創作活動を理由に言い訳をするのが天才なのではないかと思う。
よく天才の比喩として、蝶を追いかけて山を登頂するような人という話を聞く。
これで例えるならば「蝶を追いかけ続けなかった理由」を語るのが凡人で、「蝶を追いかけてしまった理由」を語るのが天才ということだろう。
お察しの通り、言い訳の対象が天才か否かを分けるのではなく、結局はやりたいこと・やると決めたことを続けるだけの意思や情熱みたいなものを持ち続け、それを実行できるかどうかが明暗を分けるのだが。
でも、創作活動を続けていく中で、自分自身が漏らした言い訳をあてはめてみるチェッカーの役割にはなると思う。
もちろん、私自身が天才になりたいなどというおこがましい願望を持っているわけではない。しかし、天才とまではいかずとも、自分の満足できる作品を創る人や、他人から見ても魅力的に思えるのは、こういう天才気質を持ち合わせた人だと思う。
だから、一歩でも数センチでも近づけたらな、と。
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「どれだけの労力を注ぎ込んだかを知れば、天才なんて呼べないはずだ。」
ミケランジェロはそう言った。
もちろんサラッと名作を創る人なんているのだろうか。そんなのはファンタジーだと思っているが、もしかしたらいるかもしれない。
でも片手間で安易に物事を成す人よりも、人間臭く悩んだり迷ったりを繰り返しつつ試行錯誤しながら、がむしゃらに目的に向かう人の方が素敵…よね?
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。