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視点は奥の、奥の、奥へ

前職は塾講師だったと度々書いてきていたのだが、実はWワークをしており、経済的な本職は大学職員であった。職員と言えど派遣職員で、定時で帰宅し、なるべく早く塾へ行けるというメリットがあったから選んだ仕事だ。

経済的な本職は派遣の大学職員。
心の本職はアルバイトの塾講師。

体良く言えばそんなとこ。しかし正直なところ、生活は幼稚園教諭や専門学校勤めの頃の貯金を切り崩すこともあった。それでも塾講師を続けたかったのだ。

でも、さすがにその生活を続けていくのは、30歳を過ぎた独身の私にとってはギリギリで、将来への不安から転職をすることになるが、その話はまた違う機会に。

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今日は、大学職員をして得たものを。

私の主な仕事は、公的研究費を使用する教授や研究員・大学院生のサポートだった。サポートと言えど、研究のお手伝いをするわけではなく、国から支給を受けるための応募から始まり、採択後の研究費利用のための経理など、事務的な手続きが一番多かった。

私の担当は、教授先生方がチームとなって行う「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」と、明日の研究者となるであろう若手の博士課程の大学院生たちの支援として交付される「特別研究員奨励費」の2つがメインだった。

特に、大学院生たちが採択に向けて試行錯誤している様子を、とても近くで見ることができた。採択者に言わせると、応募の際の書類や面接ではコツがあるらしい。

様々なテクニックは有料記事にして書きたいくらいなので控えるが、重要なポイントは2つ。

1つは、独自の着眼点を持つこと。
独特の着眼点というのは、奇をてらったり、突飛な発想である必要はない。また、この世の多くの物・事・現象に関しては既に先行研究がされている場合が多いものだ。

私は人文学分野であるため、歴史や美術、文学等は国内外の研究者たちが研究し尽くしているのではないかと思う。しかし、先行研究がされている分野の中でも、細分化していき、「そこに目をつけるの?」と思われるような誰もまだ研究されていない秘境の地を見つけることが大切なのだ。

もう1つは、専門外の人でも分かること。
採択を決めるのは、自分の同分野の研究者でないことがほとんどで、専門用語を並べていては話にならない。研究者でないこともある。しかし、それらの人に「この研究は公費を使っても進める価値がある」と認められるためには、やはり面白さや必要性を正しく理解してもらうことが何より大切で、難しい言葉や専門性のある言葉を並べることに意味はない。

私が修士論文を書いた時や口頭試問を受ける時も、これらと同様のことをなんとなく考えていた。しかし、言語化して解像度を上げることで、ようやく理解できたように思う。

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独自の着眼点については、とても勉強になった。私は、人と違ったことをすることが、オリジナリティだと勘違いをしていた気がする。

しかし、これは間違いだった。
例えば、ピラミッドでも歴史的に見るか、美術的に見るか、数学的に見るかで、その先にある可能性はそれぞれに無数に広がる。また、広がった可能性の先にも、枝葉のように選択肢が待っている。まるで診断チャートのように。

ピラミッドを美術的に見るにしても、そのフォルムに価値を見るか、内部なのか、ミイラなのか、ミイラの周りに装飾された宝石なのか。

じゃあそれをどう見るか。どう研究するか。
比較研究、調査研究、実験研究、文献研究等、ありとあらゆる手法を選択して。

そういった様々な選択肢から、常に見えているものの奥の奥へ視点を持つことによって、己の独自性というのは生まれるのだ。もちろん、皆がまだ見つけていないものを見つけることも素晴らしいか、それは独自性というよりは運のようなものを感じる。

本当の独自性や個性というのは、人と同じことをしても輝くものだと思う。

例えば、同じテーマ・同じタイトル・同じ書き出しの一文を使った文章を書いたとしても、人それぞれの味が出るような。

だから何を題材にするかより、その題材から何を見るか。それをどう伝えるか。それが大切なんだと思う。

皆が知っている物、誰もが経験したこと、いつも見逃してしまうような現象でも、面白くさせるのは、独自の着眼点によるものである。

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独自性と判読性。
なんだ、小説やnoteと一緒やん。
そう思いませんか?

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。