解決しないまま大人になってしまった
小学3年生の掃除の時間。
私は割と真面目に掃除をする方だった。だからといって誰に指図するわけでもなく、ふざけて遊ぶ男子を横目に、それを見てはしゃぐ女子も見ないふりをして、1人で黙々と掃除をしていた。
いつだったか、図工室の前の水道台が絵の具やらゴミやらでひどく汚れていて、図工室の当番が私たちだったのでやらざるを得なかった。
…が、みんなやりたがらず、1人、また1人と図工室の中の掃除へと向かった。
私は嬉しかった。
水道台の掃除は、部屋の掃除なんかとは違う。
水で遊ぶ感覚に近いこの水道台の掃除を独り占めできる。
秋口の少し寒くなってきた季節だったけど、腕まくりをして水道台の掃除に臨んだ。
まずゴミを取り除いてからクレンザーを撒き、絵の具を落とした。あっという間にきれいになったが、排水溝の中もゴミが溜まっていることに気づき、排水溝の蓋を取ってゴミを取った。
素手のまま髪と毛とか廃材とかが混ざったゴミを取った。おそらく何年も誰も手をつけなかった排水溝は、ひどく汚れていたが、掃除のしがいがあった。
クレンザーを撒き散らし、たわしでゴシゴシしていると、ちゃんと綺麗になっていくのが気持ちよくて夢中でやっていた。
すると、図書室の中から1人の男子が出てきた。私が1人なのを気遣ってくれたらしい。
彼は私の掃除を見るやいなや、感心してくれた。「すごいね、ここまでやってる人見たことない。偉いね。」と。
「誰も排水溝を触ることも出来ないよ」と続けた彼の言葉は、嬉しくって恥ずかしくって、気が動転したのか「おばあちゃんが薬剤師だから」と訳のわからないことを言ってしまったことを覚えている。
・・・
またある日の掃除の時間、濡れた雑巾で机を拭く子がいた。
私はあの匂いが嫌いだ。濡れた雑巾で机を拭くと牛乳が腐ったような、なんとも言えず臭い匂いが発生する。
厄介なのは、掃除が終わった5時間目でも匂いは発生し続けるし、なんとなく湿った机で勉強するのは不快だった。隣の席の匂いも分かるほどだ。
でも、彼女は良かれと思ってやっている。
あえて皆の机を臭くしてやろうとは思ってないはずだ。
でも皆、やっぱり嫌だと思っていたようで、1人の男子がついに言った。「それをやると臭くなるからやめろよ」と。
その言葉を発端に、クラスで論争が起こった。
汚い机は濡れ雑巾で拭くべき派と、臭いからやめてほしい派である。
そういう争いには巻き込まれたくない。
そーっとトイレへと逃げようとした時、排水溝掃除を褒めてくれた彼が言った。
「風埜は掃除得意じゃん!どうすればいいと思う?」と。
余計なことを言ってくれたもんだ。
ドアの前で逃げようとしていた私に、クラスの目線が集中した。
別に掃除が得意なわけでも詳しいわけでもない。けれど、やっぱりあの匂いが嫌だという気持ちもある。
ただあの頃の私にそれを解決する術は分からず(今もわかってないけど)、苦し紛れに答えた。
「汚れてるのであれば拭くのは仕方ないけど、床を拭いてる雑巾で机を拭かれるのは嫌…かな。あと自分の机が汚れたら自分で拭く…かも。」と。
その話を聞いていた先生は、床は拭かない台布巾を作ってくれた。そして机は自己責任という制度もできた。
苦し紛れに言ったものの、小学3年の私にしてはまともなことが言えたと思う。
・・・
大人になった今、同じ状況になったら…と考えてみた。
あの謎の臭い匂いの正体はわからないし、もちろん解決策も知らないまま25年が経とうとしている。
やっぱり言えることは、小学3年生の私のままだ。伝え方は違うかもしれないけど。
もしかして、解決しないまま大人になってしまっている事柄ってあるんじゃないかな。
もう必要ないから、生きる上では支障ないからと切り捨てて、本当は分からないのに分からないと言わないまま、全てを知ったようなフリをしているんじゃないかな。
それが何かはわからないけど。
分からないまま宿題にしてしまっていることに、目を向けてみようと思います。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。