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今はただ、風のまにまに

私はまだ、何者でもない。

人より秀でていると胸を張って言えることもなければ、小さくてもキラリと輝く原石を秘めているとも言い難い。

特出した個性もこれといって見当たらないし、人の顔色や他人からの評価を気にしすぎる気弱な人間なので、面白味もないだろう。

ネガティブなことを言いたいわけではない。
ただ私がありふれた、ごくごく普通の人間なのだということを述べたいのである。

当たり前のように会社へ行き、
当たり前のように仕事をして、
当たり前のように給料をもらって、
当たり前のように暮らしている。

人並みには好きな人がいて、
人並みに寂しくなって、
人並みにキスしたくなる時もある。

それなりに友達もいて、
それなりに嫌いな人もいて、
それなりに悪口も言う。

そんなどこにでもいる人間だ。
もしも私が小説の登場人物だったら、名前すら覚えられないまま読み終えることができるような無味無臭無害な人物ではないかと思う。

・・・

そんな私だが、いつのまにかnoteの投稿数が100を超えていた。有難いことにフォロワーさんも増えている。

私はTwitterはやってこなかったので、mixi・Facebook・Instagramはアカウントを作り、それなりに投稿もしてきたが、毎日続けたことはないし、いずれのアカウントでも投稿数が100を超えるものはない。

1番驚いているのは、どこの馬の骨とも分からない私という人間をフォローしてくれる人がいるということだ。

mixi・Facebook・Instagramの友達やフォロワーの中で、現実で私を知らない人は1人もいない。みな顔が分かる友人だ。しかし、noteの中では現時点で80人以上のフォロワーさんが、私という人間を知らないまま、私の書く記事だけを見てフォローをしてくれた。Twitterではよくあることなのだろう。noteはTwitterの延長線上にあると誰かが言っていたが、今ならそれも納得ができる。

こうなると、何者かにはなれるのではないか…と勘違いをさせてくれる。note上でなくても、毎日何かを続けることで、私を私たらしめる物が見つかるのではないかと。

・・・

自信は無いよりあったほうがいい。
向上心もあればいいに違いない。

しかし、何かをがむしゃらにやることも苦手である。どんなにシャカリキ張り切っても、うまくいくときは何をしてもうまくいくしか、そうでないときは何をしてもうまくいかない。

必要以上に卑下する必要もない。だからといって、実力以上の慢心は危険である。

だから、風に逆らうことはしない。
そして、風を見過ごすこともないように。
良い風を見定め、意思を持って風に流される。自分が選んだその風に、振り落とされないようにしがみつくくらいの頑張りならできる気がする。

何者でもない。
だから、何者にでもなれる。

だから、既述を訂正しよう。
きっと私もキラリと輝く原石を秘めているということと、人並み以上に寂しがりやだということを。



今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。