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ドッキドキドンッ!1年生。

私が大学3年生の時のこと。

社会人1年生となった2学年上の先輩が、大学に訪れて言っていた話を、今でも時々思い出す。

その先輩は私が所属する体育会本部役員の委員長をしており、いわゆる「怖い先輩」だった。仲は良かったが、怒らせたらまずい先輩である。

まず、口が悪い。
「おいっ!」とか「お前さぁー!」とか、眉間に皺を寄せながら近づいてきた日には、一目散で逃げていた。大学中走り追い回されたこともあるし、グーで頭を小突かれたこともある。

そして、態度がでかく威圧的。
私より1学年上で男子柔道部の先輩が、怒られまくった挙句、泣いていたのを見たこともある。

とは言え、悪い人ではない。仕事上・立場上の理由があるわけで、理解ができないこともない。それに、日頃は私も背が低いことをからかったり、部室にあるジュースを勝手に飲んだりできた。もちろん仕返しはくるが。

そんな先輩が社会人になって半年経った頃だろうか。
公立高校の教員になり、テスト休み期間の秋にふらっと部室に現れたのである。

顔を見て驚いた。
常に眉間に皺があり、その皺に埋もれて蟻とか小さな虫が挟まってるんじゃないかと思うほどの深い皺が、つるんとなくなっていた。

つりあがりがちだった眉も下がり、元気は元気だが覇気がない。

どうしたのかと尋ねたところ、これまで散々立場を利用して偉そうにしていたから、「1年生」が辛いというのだ。縦社会の現場なので、その落差についていけないらしい。

以前、泣かされてた先輩が影でほくそ笑んでいたことは言うまでもない。

・・・

小学生、中学生、高校生、大学生と、学生のうちは定期的に「1年生」がやってくる。

ちょっとやんちゃな小学6年生も、少し小さく見える中学1年生になる。部長だった中学3年生も、ボール拾いをする高校1年生になる。

定期的に1年生となることは、非常に良い構造だと思う。

もちろん、そんなものがなくても驕らず、威張らず、謙虚な人はいるだろう。反対に「1年だからなんだよ」と立ち向かうは人もいるけれど、誰しもがそうであるわけではない。

社会人になっても、転職をしたりすると多少は「1年生感」はあるかもしれない。

しかし、やっぱり「1年生」が持つ独特の緊張感や不安は、転職では味わうことが難しい。異業種異分野であれば、似ている感覚はあるかもしれない。

今、私にはその「1年生」が必要な気がしている。

社会に出てから10年以上が経ち、そのうちに転職もあったが同業種だったので「前職までの経験を生かして」という肩書きがあったため、新人感はなかった。

そうやって積み重ねてきた経験・知識・自信が、驕りや慢心になってきている実感がある。

まだまだ知らないことはある。
経験が足りていないことも自負している。
なのに、曲がった自信を誰かにへし折ってほしい。

意志が弱い私のため、今一度「1年生」。
そんなことを言っても出来るわけはないので、雰囲気だけでも近づけるべく、4月からはもう一度初心を取り戻そうと考えている。

・・・

今私がいる会社は、新人が続かず、社員の2/3は40歳以上である。昨日も1人、入社3年目の女の子が辞めていった。来年3月にも5年目の女の子が辞める予定らしい。

ますます先輩方の割合が増えていくわけだが、世代的に中途入社の方は少ないし、いたとしても勤続20年を超える大先輩ばかりである。

若手の子達の悩みを聞くと、対人関係のことが多い。まぁ悩みなんてそんなもんだろうが、大先輩方との間に起こるトラブルが多い。

大先輩方の言動に理解でき、「それは立場上仕方ないんだよ」と思う場合もあれば、それを加味しても「それはあんまりだな…」と同情してしまうこともある。

一方、若手側も「1年生」を忘れかけてきたタイミングである場合が多い。不満が出てきやすい頃なのだろう。

つまり、ドッキドキの「1年生」は誰にとっても定期的に必要なのではないかということ。


ちなみに、私は「1年生」と聞くと「ドキドキドン!1年生」が浮かびます。1年生でもないのに、時折鼻歌で歌ってしまうくらい。

だれでもさいしょは1年生。
ドキドキするけどドンといけ。

ここが特に好きです。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。