見出し画像

言葉は友達。そして戦友。

己の懐の狭さを感じる出来事があった。

相手の失敗のだけでなく、言い訳ばかりを並べてオマケのように添えられた「ごめんね」という謝り方に余計に腹が立ち、行き場のない怒りを押し殺して仕事をした。

謝れば済むと思ってるぞ。
どうせ悪いと思っちゃないんだよ。
許すまじ。

私の中にいる悪魔さんがここぞとばかりに暴れ始める。

日頃からあらゆることに対して「言い方が悪い」という考えは持たないようにしているのだが、悪魔さんが喉元まで出かけていたので、何度もゴックンして閉じ込めた。

そして、冷静になってから1番に思ったのは「謝られることを拒否できればいいのに」ということだった。

・・・

世の中には、
謝ってほしいと思う人が一定数いるらしい。

私は悪いことをしたら謝るべきだと思っている。どちらかというと謝罪を安売りするタイプで、これはこれでどうかとも思うが、それによる弊害はないので当面はこのスタンスで生きていくつもりだ。

「悪いと思ってないのに謝る奴ってどうなん」「なんでもかんでも謝りすぎて肝心な時にも誠意が見えないやつも嫌い」など、私の頭の中にいるネット上で騒いでいる人がいる気もするが、積極的に無視していくつもりだ。

ただ、謝罪が裏目に出る場合があることを覚えておきたい。

しきりに「ごめんね~、ほんとにごめんね~」と軽々しく謝る上司に対し、謝られてるので許さねばならないという建前と、許しがたいのに許さねばならないという本心が折り重なって私の感情を混沌とさせたのだ。

許したくない。

そう思う私は大人げなく「いいですよ」「もう大丈夫ですよ」とだけは言ってやるなという悪魔さんを心に飼いならしながら、表面では天使さんを張り付かせながら小さく「分かりました」とだけ伝え、その場を離れた。

・・・

自己評価の中では怒りっぽい方ではない私でも、怒りに震え、手のひらに爪の跡がしっかりと残るくらい拳を握り締めることはある。

これを表出することだけはしてはいけない。

そう考える私は、手に力を込めながらも悪魔さんを黙らせる方法を考える。

怒りというものは二次感情なんだ。
きっと怒りの前の感情があるはず。悲しいとか辛いとか、こうして欲しかったという欲求とか、そういう感情を探す旅をしてみたり。

あるいは、この怒りに狂いそうな私を実況中継するもう1人の私を生み出し、悪魔さんに支配されている私を描写してみたり。

ここに止まってはいけない!この感情の波に飲まれるのは危険だ!撤退じゃ、全軍退避〜!!と、コミカルな自分に変身してみたり。

そうやって怒りの時間を乗り越えてきた。

そう考えると、怒りの感情から逃げる手段は全て言葉によるもので、怒りの裏側にいる私は非常におしゃべりだ。

冷静になろうとした時に、ダンマリを決め込むのではなく、かえっておしゃべりになっているというのは面白い発見だった。

・・・

瞑想とか無になるとか7秒数えるとか、怒りを乗り越える方法はいろいろある。

でも、私はおしゃべりさんを飼い慣らして、言葉と共に乗り越えることをお勧めしたい。

言葉は友達。そして戦友。

きっと君となら、怒りだけでなくその他の敵にも勝てる気がしているよ。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。