優しさや正義が悪に変わるとき
学生時代は「悪いこと」と隣り合わせだった。
今よりもずっと「悪いこと」との距離感が近くて、いつでも手を染められそうな環境だった。
それは、大人よりも子供の「悪いこと」の方が簡単であり、魅力的であり、本人もリスク管理ができないような単純でくだらないことが多いからだと思う。
もちろんどんな些細なことも「悪いこと」には変わりないのでいけないことではあるが、それよりも「悪いこと」があると思う。
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中学生の頃、下校中に寄り道して公園で遊ぼうという話になった。
いつも同じ方向のメンバーで一緒に帰るのだが、私たちソフトボール部は男子のバレーボール部と仲が良く、集団でワイワイ変えることが多かった。
そのうちの男子バレーボール部の1人が、寄り道の提案をしたのである。
ほとんどの子はその意見に賛同し、ちょっとだけ行こうという話になったが、私を含めた2、3人は行かなかった。
私は眠いだかお腹が空いただかで丁重にお断り申し上げたのだが、反対していた1人が「それはやめようよ、もう遅いし。」と寄り道計画に盛り上がるメンバーを引き止めようとした。
彼のいうことは正しい。
寄り道はもちろん校則で禁止されているし、その日は最終下校時刻もとうに過ぎている遅い時間だった。
だから、みんなやめよう、と。
もう1人の反対メンバーが「先生たちも見回りしてるらしいし、やめた方がいいよ」と言った。
でも、一度盛り上がった気持ちを抑えることができず、「盛り下がること言うなよー」「大丈夫、ちょっとだけだから」「えー、ビビってるの?」と、反対するメンバーを連れて行こうとした。
それでも1番反対していた彼は「みんなもやめるべきだ」と言い張り、埒があかないのでその日は大人しく帰った。
次の日から、反対した彼は一緒に下校しなくなった。
「ノリが悪い」「まぁあいつも正しいけど…」と、この場にいない彼のことを話しているのを聞いて、少し気分が悪くなった。
でも、今ならわかる。
ここで正しかったのは、遊びに誘ったメンバーでも、正義感の強い彼でもない。
何故ならどちらも悪かったからである。
遊びに誘ったメンバーは言うまでもないが、みんなを引き止めるべく説得し、辞めさせようと必死な彼の悪かったところは「強要」しようとさせたことである。
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どんな素晴らしい理想や信念も、多くの人間が信じる信仰も、それ自体に悪いことは全くない。
ただし、それを他者に「強要」させた時点で、その素晴らしさは失われ、突如悪へと変化する。
彼の考えも、説得を試みたことも、もちろん悪いことではない。しかし、それを押し付けようとしたから、悪に変わってしまったのだ。
今の社会にも多いと思う。
この問題はみんな、こう考えるべき。
こんなことがあるから、みんながこうしなきゃ。
もちろん世間を賑わす感染症や、自然・環境などの共有資源、多数の人間の生活が脅かされるようなものについては、ある程度の強さで取り締まるべきとは思う。
ただ、普段の生活や自分の半径5メートル以内の問題については、正しさや正義は「強要すること」で悪へと変わってしまうのではないか。
誰もがみな、各々の優しさや正義を持っているからこそ、それを曲げようとすれば衝突が起きるのは当たり前だな、と。
そんなことを思いました。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。