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理科と美術の再現性

私は学生時代、理科が好きではなかった。
とは言え、プラネタリウムの解説員になりたいと思った時期もあったので、天気や天体には興味があり、その単元の時期だけは理科の授業を心待ちにしていた。しかし、電流や元素などはどうも苦手…というか、全く楽しくなかった。その中でも興味が湧かない最たるものは「実験」だった。

現在、ノーベル賞の効果も相まって『ロウソクの科学』が累計重版14万部を超えたらしい。また、小学校でもSTEM教育の導入によりプログラミングの学習を取り入れている。日本中で科学・数学への関心が高まっているご時世に、「理科の実験が嫌い」と述べることは、多少勇気のいることだが、面白くないものは面白くないから仕方がない。

何故面白いと感じることができなかったのか。
今になって、気になってしまった。

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理科の単元そのものが嫌いだったのかと聞かれると、そうとも言い切れない。私は暗記が得意でない(いや、全くもってできない)ため、化学記号や元素を覚えることは全くできなかった。本当に全く。

ただ、授業が楽しみになるほどではないが、生物や植物も案外楽しかったことを思い出した。光の屈折なんかも、話を聞くのは好きだった。だがやはり実験となると非常に億劫な気持ちになり、教室移動が憂鬱だった。普段は寝ているくせに、むしろ実験となると喜び勇んで理科室に行く男子たちが理解できなかった。

理科の実験の特徴の一つは、再現性が高いことだ。
何よりもプロセスが大事。定められた環境の中で、定められた方法で、定められた分量を計り、その状況下で出てくるであろう結果を見る。科学者や研究者の実験とは異なり、授業の中の実験は失敗がほぼない。どこの誰がやろうと、正しいプロセスを踏めば、同様の結果を手に入れることが出来る再現性の高さこそが、面白みにつながらない理由なのではないかと思った。

その点、やはり美術は楽しかった。
点描画やにじみ絵、吹き流し、粘土での造形等、方法や素材が同じでも、同じものは作れないところに、再現性の低さを感じる。

ただし、「将来役に立つ」ということを考えると美術は理科に及ばない。
可能性として、理科そのものはもちろん、考え方などの参考になるのは理科の方であろう。それがまた悔しいところだ。

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しかし、再現性という視点から見て乖離しているからと言って、「理科」と「美術」を切り離して考えてはならないと思った。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、「科学技術と文化芸術の融合」を訴えた。異なる領域を結びつける能力こそが、平凡から脱するきっかけとなるのだと。

…なるほど。まずは『ロウソクの科学』を読まなければ。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。