見出し画像

与えるものであって、求めるものではない。

旦那さんとアニメ『美味しんぼ』を観る習慣がある。

空腹状態で見ると、口さみしくなって食べたくなってしまうので、食事中に観ることがほとんどだ。

旦那さんの提案で、1話から順番に観るのではなく、全121話をルーレットアプリでランダムに見ているので、すでに最終回を見てしまったが、肝心の海原雄山初登場回はまだ見ていない。

時折「これはどこの誰だ?」ということが起こるが、関係性などは会話などから推測できるし、それが分からなくても全く問題なく楽しめるからとても良い。

『美味しんぼ』を観たことがある人はご存知だと思うけれど、大抵の場合は周囲に起こる問題を、食べ物で解決させるということが起こる。

主人公である山岡も、「まぁ、話すより実際に食べてもらったほうが話が早いだろう」と言って理由もわからぬままレストランや地方の農家等に連れて行き、食べ物を食べさせるという構図がテンプレートになっている。

その度「いやいや、話した方が早いだろ」と旦那さんとツッコミを入れるところまでがセットなのだが、そんなことを言いながらも楽しく観ている。

・・・

話した方が早い。
このことを考えるたびに、いつも思い起こすエピソードがある。

あれは、私が大学生の時。
両親と3人で沖縄旅行をした時のことである。

私は初めての沖縄だったので、THE沖縄というような名称を巡った。写真でしか見たことがなかった首里城、幼少期からずっと行きたかったひめゆりの塔、そして美ら海水族館。

楽しい時間を過ごしていたのだが、急に父の機嫌が悪くなった。そもそも気難しい人なので、機嫌が悪くなるのは別に珍しいことではない。

ただ、なぜ機嫌が悪くなったのかという理由がわからないケースがあまりない。起こった事象に対して、わかりやすく不機嫌になるのが父のお決まりなのでが、この時はみな楽しく過ごしていたように思っていたので、「どうしちゃったのか?」と母と首を傾げた。

水族館内でスタスタと先に行ってしまうので、たまらず「どうしちゃったのか」と尋ねた。

はじめのうちは「なんでもない」とか「しらん」とか誤魔化していた父は、あんまり私がしつこく聞くので通路の端に寄り、怒りを噛み殺しながら小声で言った。

「お父さんも写真撮ってほしかった」と。

たしかにこの日、父はデジタルカメラの三脚を持ち、都度私と母を撮影していた。昔から父はよく写真を撮っていたし、そんなことを言われたこともなかったので、正直にいうと「急にどうしたのか」と思った。

しかし、久しぶりの旅行で、楽しい時間であればあるほど、自分がそこに映っている写真がないことに寂しく思ったのだろう。

だからと言って、そこまで怒らんでもいいじゃないかと思った。

もちろんそんなことは当人には言えず、「気づかなくてごめん」と謝り、もう一度水族館内を最初から巡り、母や私とのツーショットを撮っているうちに機嫌は直った。ジンベイザメにたどり着く前に解決してよかったとも思った。

しかし、私たちを撮ったあとに一言「お父さんのことも撮って」と言ってくれさえずれば、もちろん断ることはない。思い返すたびに「なぜ言ってくれなかったのか」「たった一言、言えばいいだけなのに」とも思う。

頑固者で気恥ずかしくて、言いにくかったのかもしれないが。

・・・

世の中にあふれる人間関係のいざこざには、この構図であふれている。

気づいてほしい人と言ってほしい人との対立。
あるいは、そんなこと「ちょっとポップに言やあいいのに」と思うような、小さな火種で発火したり。

職場でもこのトラブルが多い。
いい年したおじさん同士でこんなことをやっていたりする。

気づきや察しの文化はあっていい。
ただし、それを強要しなければ…である。

与えるものであって、求めるものではない。

これを知っているか否かで、
身の回りに起こる人間関係のトラブルは少なくなる…と思います。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。