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お腹に力、入れてますか?

4日ぶりの出勤。

もっとも大きな気づきは、在宅中、いかにお腹に力を入れていなかったかということだ。

外に出れば、歩かなければならない。
人前では、姿勢を正す習慣が身についている。

しかし、たった4日で筋肉が落ちたみたいだった。実際にはそこまでの変化はないはずだが、様々な動作がいちいちぎこちなかった。

そして、あえて意識的にお腹に力を入れて座ること、普段はエレベーターを使用している4階くらいまでの移動は階段を使うこと、通勤時は少し遠回りをして歩くこと。

些細かもしれないが、リラックスしすぎた私の体にとっては、多少の苦痛が心地よかった。

・・・

「人間とは強いて苦痛を求めるものであると一言に評してもよかろう」

夏目漱石が『吾輩は猫である』のなかでこう述べた。この言葉の意味を、今まさに痛感している。

決して、マゾヒストということではない。

しかし、肉体的にも精神的にも、人間には苦痛が必要ということは間違いない気がする。

苦痛は刺激だ。
刺激を受けるから、人は人となるのではないだろうか。快楽を求める気持ちも、大いに理解はできるが、そればかりでは味気ない。

この話をすると、筋トレやサウナに例えて「苦痛から解放された時が気持ちいいんだよね」という人もいる。何かを成し得るために必要なものだと思えば、苦痛も楽しめると。

しかし、私が言いたいことはそうではない。耐えている、その時間こそが私の求めている心地よさなのだ。そう言うと、完全に引かれてしまったことがあるので、それ以来あまり言わないようにしている。

・・・

中学1年生の時、初めての彼氏ができた。

彼は同じクラスのバレーボール部員だったのだが、中学生の頃のお付き合いなんて、一緒に登下校をすることがメインのようなものだ。でも、学校から私の家までは10分くらいで着いてしまうので、よく通学路ではないルートで下校をしていた。

ある日、いつものように手をつないで歩いていたところ、男子バレーボール部の監督で、市内でも鬼監督として有名な体育教師の乗っている車が私たちを通り過ぎて行った。

その鬼監督は、ゴリラに似ていたので「オニラ」と影で呼んでいたのだが、「あの車は、オニラの車だったかな」「私たちに気づいたかな」と、不安になりながら下校した。

次の日、職員室に呼び出され向かうと、彼氏は坊主になっていた。今の時代で考えればあり得ないかもしれないが、当時は罰として坊主なんてことはよくあることだった。

時は過ぎ、中学3年になった。担任はオニラ。もちろん部活だけでなく日常生活も厳しく、一人でも掃除を手を抜けば、クラス全員で屈伸運動(スクワット)というのも名物ではあった。

合唱コンクールの楽曲はオニラの独断だった。私たちが卒業後、体罰で訴えられたという風の噂が流れた。

そんなオニラの口癖は、「腹に力を入れて生きろ」だった。

脳みそまで筋肉のとんでもない先生だと思っていたので、オニラの言葉の意味を考えようともしなかったけど、たった一つ「お腹に力を入れる」ということだけは、深い意味のある教えだったということを、18年越しに知りました。

それだけね。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。