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ハプニングを受け入れるために

我が家では月に一度、家族でたこ焼きをする習慣があった。父のいる休日の昼間に行う。おそらく、母の家事軽減のために行われていたはずなのだが、今振り返ると準備や片付けは母が担っていた気がする。

そしていざ始めようとしても、毎回あれがない、これが足りない、こんにゃくはもっと細かくないとあかんな、桜エビはどうしたと騒ぎ、慌てふためく父の姿と、それに応える母の姿を簡単に思い出すことができる。

そして万が一、母が買い忘れていたものがあろうものなら、いつまでもグチグチと言われ続けるのだ。2、3日どころではない。下手したら次のたこ焼きの日にも、「前回はお母さんが買い忘れたせいで…」と言い続けることも目に見えている。

父は父で悪気があるのではなく、大阪生まれ大阪育ちの気性ゆえ、私たち兄弟3人に少しでも美味しい本場の味をと思ってのことだ。食材が全て満足に揃った時は自分のことは後回しにして焼き続け、私たちに「どうだ、うまいやろ」嬉しそうに笑うのだ。

けれど、子供心に「たこ焼きごときに必死だな」と思った記憶がある。

・・・

昨夜のご飯はたこ焼きにした。
1人+猫1匹の静かなたこ焼きパーティーだったが、寂しい気持ちもありつつ、これはこれで楽しかった。

父のおかげで、準備は心得ている。

こう見えても、子供の頃は従順で可愛い末っ子のおチビちゃんだったので、たこ焼きの日は父の一番弟子として、タネも小麦粉から作れるようになっていた。

全ての準備を終え、たこ焼き器のスイッチを入れた。具材も全て1つのバットに並べ、父直伝のタネと具材を入れていく。

一人暮らしをすることになった時に買ってもらったたこ焼き器を、今でも使っているので、多少火の入り具合もマチマチ。友人とやっていたらちょっと気を使うレベル。ましてや父がこの場に居ようもんなら、憤慨する様子が目に浮かぶが、1人なのでそんなことも気にする必要はない。

焼き上がり、いざ食べようと思って冷蔵庫へ向かったのだが、ソースを買い忘れていたことに気づいた。正確には、あると思っていたのに無かったのだ。

父がいたら大目玉を食らうところだが、幸いにも1人だし、私にはこういうハプニングに襲われた時の魔法の言葉がある。

「ま、いっか」

コンビニに走ることもできるが、元々こってりソースよりもポン酢マヨの方が好みだし、どちらの方法でも食べようと思っていたのだから問題はない。

そして、行きつけのたこ焼き屋さんのメニューに塩マヨというのがあって、それが好きなので、今こそ家でも塩マヨを試すチャンスだと思った。ついでに出汁つゆを作って、お家たこ焼き初の明石焼き風にもチャレンジすることに。

・・・

どちらかといえば、ハプニングを楽しめる性格だと思う。

旅行も行き当たりばったりの方が楽しいと思えるし、計画通りにいかなくとも受け入れることが出来る。かたや、それを絶対に受けられない人というのもいることを知っている。

御察しの通り、父である。

父は真面目で、仕事の様子を見ていても尊敬する。家族旅行でも何時にどこへ行き、どこでお土産を買って…とターコーディネーターも真っ青なスケジュールを組む。逆に、私には真似できないので、それはそれで才能だなと思う。

その反面、遊びがないなとも思う。

この遊びというのは、なかなか難しい。遊びが効きすぎてもいい加減になってしまう。でも、多少の余裕が適度な遊びを生むのではないかと。

ピンと張り詰めることも時には必要だけど、常に心の余裕を持ち続けていると、塩マヨたこ焼きが美味しいことにも気づけるというお話。

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