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不謹慎の正体

毎月1回「パフェ修行」を重ねている。

始まりは一昨年の年末。同僚とご褒美と称して「背伸びした美味しいパフェが食べたい」と話したことから始まった。「背伸びした美味しいパフェ」というのは、コーヒーor紅茶とセットで軽く¥3〜4,000は当たり前に飛ぶような、そしてアイスクリームやコーンフレークでかさ増しをすることのないようなパフェのことである。

何かにつけて「ご褒美」をつけるのは、我々女性のと専売特許である。今振り返ると、具体的に何のご褒美だったかは覚えていない。おそらく決めちゃいなかった。今年も一年頑張ったとか、そんなことだったかもしれない。日常的に出来ないことの口実として「ご褒美」を掲げる。実に便利な言葉だ。

お互いに果物が好きだったこともあり、トントン拍子に話は進んだ。記念すべき初回の店は、議論要らずですぐに決まった。美味しい果物といえば…もはや一択だった。

仕事終わり、イルミネーションで彩られた日本橋の街を歩き、希望通りのパフェを堪能した。それだけで仕事終わりの空腹は満たされず、出汁専門店のお蕎麦を求めて歩くことになるのだが、私たちの口の中は、ずっと幸せの味しかしなかった。

さて、この日から4ヶ月後。ご褒美だったはずのこのコースは、私の転職を機会に月に一回行われることになる。

頻度が上がったので、予算は少し抑えることも多くなった。お財布事情が要因ではない。様々なパフェを巡っていく中で「必ずしも美味しさと値段が比例しない」ことを悟ったのである。また、蕎麦ではなくラーメンになることもあった。もはや目的は、「ご褒美」でも「背伸びした美味しいパフェ」でもない。

会うためだ。
会うついでに、互いの好きな美味しいパフェを食べる。

それが「パフェ修行」だ。

だが「修行」と銘打っているだけに、私たちは非常に真面目にパフェを求めて食している。街の果物屋さんの上にある小さなパーラーに行くこともあれば、果物から離れてお茶屋さんのパフェをいただくこともある。初めの頃は、パフェを撮るのにも難儀したが、回数を重ねるごとに上手く構図を定めることも手早くできるようになってきた。修行の賜物である。

そして昨日はチョコレート専門店へ。
友人はカカオパフェを、私はキャラメルパフェを注文した。

私の頼んだキャラメルパフェには、繊細で美しい飴細工が乗っていた。そして、パフェグラスの横には、岩塩の乗った小皿が添えられた。食べ進めていくなかで、好みに合わせて塩キャラメル味にしていいとのこと。

半分くらい食べた頃、塩に手をつけた。
ただ作法が分からず、他に方法もなかったので、行儀が悪いかとも思ったのだが指でつまみパフェに散りばめ、手を合わせ、再びのいただきますをしてから食べた。

これは「お焼香スタイル」だなと思い、つい呟いてしまった。

・・・

不謹慎であったことは認めよう。

ただ、他に例える言葉が見つからず、とっさに出た表現が最も的確であったことも事実だ。言い得て妙であると、笑いあってしまった後で、公には言えないことだということを共有した。ブラックジョークと言えば聞こえはいいのだが、急に居心地が悪くなったのも事実である。

だが、誰に対して不謹慎だったのか。
ただの一般人である私が、友人と金曜の夜に銀座の街へ繰り出し、店内に私たちを含めた2組しかない場面で、何を言ったところで私たちを咎める人は誰もいない。大声で騒ぎ立てたわけでもいないので、他の客どころか店員すら私たちの会話なんぞ聞いちゃいない。

近年の不謹慎ブームのせいで、過敏になっている気がした。昨今の日本には、弱者の味方をすれば正義であると勘違いしている人が一定数いることは間違いない。

それをたらしめる出来事を思い出した。数年前にお笑い芸人が出産シーンをTVで放送したところ、とんでもないバッシングを受けた。

「産めない人への配慮はないのか」
「出産まで笑いにするのは不謹慎」

何を言っているのかと、理解に苦しむ。
「不細工な人に配慮して、美男・美女は人前に立つな」
「蟹食べ放題の特集なんて、甲殻類アレルギーの人への配慮はどうなっているんだ」
と言っているようなものだ。

百歩譲って、多少辛いなと思う人の心情は察することができる。言いたきゃ言わせておけばいい。それなのにネットニュースやテレビが取り上げ、また騒ぎ立て、事を大きくして謝罪を求める。

結局謝罪をする。ことが大きくなった手前仕方がないことかもしれないが、民放のくせに…と思ってしまうのも事実。これらはテレビがつまらなくなった原因のひとつだ。

また、これはあくまでも私論だが「配慮がない」「可哀想だ」と騒ぎ立てる人たちの中に、迷惑を被った当事者がいないことも少なくない。出産シーンを辛いと思う人は、その番組を見ないだろう。うっかり見えても、テレビを消すか、チャンネルを変えればいいだけのことである。

・・・

世の中に、本当に不謹慎である場合ももちろんある。でも、もはやその基準もよく分からなくなってきている。「不謹慎の基準」ではなく、「不謹慎と言われる可能性のある基準」はハッキリとした形で蔓延しているのに。

友人との会話だけに留めず、ここで「お焼香スタイル」と発言した私は、謝ったほうがいいのかしら。パフェを食べ終えた後に向かった蕎麦屋の、¥2,000くらいする天ぷら蕎麦が、銀座であることを疑うくらいのクオリティであったのは、きっとバチが当たったのだと思うので、是非お許しいただきたい。


今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。