思考が立場をつくるのでは
昨日の夕食は、焼きサバだった。
夫婦揃って魚・和食好きというとはとてもありがたい。
そして、一昨日作って好評だった茄子の揚げ浸しも焼き鯖にとてもよく似合っていて、私の中では良い献立、良い盛り付けになって満足していた。
ありがたいのは、それを見た旦那さんが食卓を見て喜んでくれたこと。
今日のメニューいいね、と褒めてくれたこと。
自己満足で終わらないお陰で、明日も頑張ろうと自然に思う。
特に何も言われなかった日も、旦那さんは必ず毎食「美味しい」とは言ってくれる。
どんな反応であろうと「次はどうしようかな」「明日は何を作ろうか」と、まだ今日の夕食を食べ終えないうちから、明日の献立を考え始めている。
・・・
結婚して4ヶ月が経った。
まだ4ヶ月…本当に?
そう思うくらい今の生活が馴染んでいるし、ずっとこの生活をしていたような気もする。
それと同時に、すっかり変わった感覚もある。
「感覚が主婦になってきた」
それだけはハッキリとした変化を自覚しているのだ。
大きく変化した感覚は献立を考えることだ。
夜ご飯を食べながら、明日の夜ご飯はなににしようかと毎日考えてしまう。
それも毎日。
一人暮らしの時には全くない感覚だった。お腹が空いてから考えればいいと思っていた…いや、そんな意識すらないまま、食べたい時に食べたいものを食べていた。
しかし、私も妻になり、旦那さんに喜んでもらえる食事を提供したい気持ちもある。
美味しいと喜んでもらえると嬉しい。
私1人だけの問題ではない。
家族のための食事だからこそ、次の日の献立まで考える癖がついたのだろう。
そして、そんなことで私は「妻」という立ち位置の自覚が芽生えたように思う。
・・・
状況が立場を作るのではない。
思考が立場を作るのではないだろうか。
例えば、受験生というのは中学3年・高校3年になったから受験生というのは安直すぎる。
志望校はどうしようか。
あの学校で本当にいいかな。
こうはしていられない、勉強しなきゃ。
どの進路がいいのだろう。
そういう迷いや葛藤をもって初めて受験生になったと言えるのだと思う。
後輩ができたから、先輩になるのではない。
結婚したから自動的に夫になるのではない。
子がいるのに親になれない人もいる。
私は、立場に見合った思考ができているだろうか。
両親の子として、
旦那さんの妻として、
上司の部下として、
後輩の先輩として、
猫の飼い主として。
市民として、国民として。
人としてよく思考をすることが
本当にできているのだろうか。
他人ができているかは関係ない。
私自身が自信を持てるどうかが大切だと思っています。
今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。