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必要な視点は、マクロかミクロか

姪っ子からLINEがきた。

彼女は8歳離れた姉の子で、私が高校生の時に生まれたので、高校生にして「おばさん」となったのだが、本当に可愛くて可愛くて仕方がなかった。

おばさんの立場というものは、とても都合が良い。ただひたすらに可愛がることができるし、悪いことをしたら多少叱ることはあれど、それが日常化しないので尾を引くことはない。

盆暮れ正月に実家で集まる時に会っていたので、たまに私が実家に帰れないことがあると、幼い頃の彼女はトイレや私の部屋だけでなく、ピアノの裏やソファの下・冷蔵庫の中まで開け、「そんなところにいるはずもないのに」と山崎まさよしに言われてしまいそうなくらいあらゆる場所を探し、いないと分かると大泣きしたという逸話がある。

また、何日間か実家で過ごした後、各々自宅に帰った夜に、「私に会いたい」と言いながら枕に顔を埋めてなく姿が動画で送られてきたときには、愛おしすぎて悶絶した。

今でも親族の中で、1番好きなのは私だと公言してくれるくらい、ありがたい地位をいただいている。私が幼児教育に目覚めたのも、彼女がきっかけのひとつだった。

そんな彼女は、今年の4月から高校1年生になった。

・・・

4月から新しい生活が始まった彼女を、とにかく心配していた。最も心配したのは無事に高校生活が送れるかどうか。

彼女は中学校生活の中で、ほとんど学校に行けていない。理由は、病気と心の問題である。

病気のせいで朝起きることができないというのもあったし、昼から学校へ行くということも億劫になる気持ちも理解はできる。家庭や学校でトラブルが多かったのも事実である。

家で1人で勉強をしていたので、やはり少し遅れていることもあり、長期休みで実家で会ったときには私が勉強を教えたりもしていた。

塾講師の経験を存分に活かすことができた。

高校受験は、学科試験のない高校を選び、面接と小論文だけだったので、去年の冬休みにはひたすら2人で小論文対策をした。

そして、無事第一志望の高校に合格した。

新しい環境を迎え、家庭でのトラブルも解決した。病気も快方に向かっているので、高校からは是非、高校生らしい楽しさを味わって欲しいと思っていた。

しかし、こんなご時世なので入学式も授業も始まらないまま2ヶ月過ごした。

そんな心配をよそに、6月からは無事高校が始まった。入学式には真新しい制服を着て微笑んでいる写真を送ってきてくれた。

それからは特に音沙汰がないのでどうしているかな…と思っていた矢先の昨夜のLINEだった。

内容は、高校が始まって初めてのテストが返却されたこと、そして国語で学年1位を取れたということだった。

どうやら高校生活は無事に送れていることが分かったし、何よりそんな好成績を取ることができたことにも驚いた。

ケアレスミスで1点落として99点だったと悔しがっていて、何と高レベルな…と仰天した。

テンションが高すぎて少しだけ心配したが、楽しい毎日を送れているのであれば何よりだと思った。

・・・

彼女の様子を感じながら、自分の思春期を思い返していた。

反抗期はなかったけれど、私にもちゃんと情緒不安定な思春期があって、様々な出来事に一喜一憂し、落ち込むときはとことん落ち込み、今考えれば大したことがない悩みでも、この世の終わりかとも思えるほど不安や苦痛で頭がいっぱいになることがあった。

大人たちは、そんな思春期の子どもたちをみて「視野を広げろ」という。

世界にはもっと大きな悩みで苦しむ人がいるとか、宇宙から見ればそんな悩みはちっぽけだとか、「マクロな視点」を持つようにと諭す人がいるし、私も高校時代に似たようなことを言われたことがある。

しかし今振り返ってみると「ミクロな視点」によって、私は私を作ってきたと思う。

悩みから目を逸らし、他者と比べたり、もっと大きいものに目を向ける「マクロな視点」ではなく、とことんその悩みと向き合って、問題や自分という人間を分解していく「ミクロな視点」によって、悩みの核を見つけることができたからではないかと思う。

そうやって大人になり、自分で自分の機嫌を取る術を覚え、私自身の感情をコントロールできるまでになったのは、間違いなく「ミクロな視点」のおかげである。

ただ、自分では抜け出せないくらい、極端な話「死」を意識してしまうくらいに悩んだときには、「マクロな視点」は必要なんだと思う。

そして、他者の意見を聞いたり、自分ではたどり着けない思考を得るために読書をすることももちろん必要。

しかし、それでは根本解決になっていない。

結局、その悩みを乗り越えるのであれば辛くても苦しくても向き合うことが大切で、付け焼き刃で視線を逸らしたところで一時的に回避はしたとしても、また同じような問題が起こったときには太刀打ちできないのではないかと。

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一般的な「中学校生活」を謳歌できなかった姪っ子をみて、不憫に思ったこともある。

しかし、彼女は本当にどん底に触れ、辛い時を過ごしたからこその強さがある。この3年間、ただ面白おかしく過ごした子よりも、生きていく上で必要な心を獲得できたのではないかと思える。

冒頭でも言った通り、私にとっては本当に大切な姪っ子で、幼い時はマヨネーズでもつけて食べちゃいたいくらい可愛い子だった。それが親族の贔屓目というのは分かっているけど、今は彼女を信じて見守ろうと思います。

今後も有料記事を書くつもりはありません。いただきましたサポートは、創作活動(絵本・書道など)の費用に使用させていただきます。