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アメリカ留学日記 2

今回はアメリカ留学に行くまでの道のりについて書かせていただきます。

高校からアメリカへ行く人の道のり

高校からアメリカの大学へ進学するのはなかなか珍しのかもしれません。私は某進学校に所属しながら学校の成績はよくありませんでした。高校3年生の夏に三者面談を行い、担任の先生に『アメリカの大学に行きたい』という意思を伝えたところ『行けるチャンスがあるならやってみな!』と後押しをしてくださいました。

しかし、留学に行くと決めたは良いけど英語は話せないし、英語を聞き取ることすら出来ません。

また、父は日本の大学に行ってから留学すれば良いのでは?と若干留学に反対気味。

母は高校2年生からアメリカに留学していたため私に賛同。

でも、母にはそんなにアメリカの大学で勉強することは甘くはないよと口癖のように言われ続ける毎日。それでもアメリカで勉強したかった私はお金の問題もあるし、頭を下げてお願いしました。
そこで、父は目標を逆算してカズの計画をまとめて企画書みたいなのを作ってこい!と私に告げます。

高校3年生のときから将来の企画書。私はそんなこと18歳の自分に出来るわけがないだろう…と思っていましたが、将来やりたい事に対してのプランが立てられない人が違う国でその国の人たちと同等に戦えるはずがないと思い必死になって考えました。

毎日毎日、自分なりにググって調べたり、Athletic trainer になりたかったので実際にアメリカで働いている人にコンタクトを取ってみたりして情報をとりあえず集めました!

自分なりに現実を見ながら、沢山の情報と睨めっこしながらWordにポチポチし、『カズの将来プラン』を完成させました。

父にみせるとさすが父親って感じで自分じゃ考えられていなかったところをしっかりと指摘。そして、話し合いまずは小さな目標を決めた。それがTOEFLのスコアを上げ、アメリカの大学から合格をもらうこと。

アメリカの大学探し

アメリカの数多くの中から行きたい大学を選ぶのはとても大変だった作業の一つです。

日本と違ってランクがはっきりとあるわけではないアメリカの大学を探すときに私が重視したのはAthletic trainer のメジャー(専攻)が強い学校。就職率がよかったり、設備が整っていたり色々調べました。もちろん、その中でも学費が安い大学をピックアップしました。

そして、行きたい大学が決まり願書を提出。
願書も全部英語でとても大変だったのを覚えています。(あの時、アメリカの大学に行こうとしてるのか自分は!とちょっとドキドキしてたのを覚えています)

合否発表 しかし、、、

第一志望の学校からは合格!を一回もらいました。しかし、それは条件付き合格。(語学勉強を1年間やらなければいけない条件。学生ではなく浪人みたいなもの)

その結果を踏まえて私は悔しいですが短大に行くことに決め2年間短大でAthletic trainerを専攻し勉強していました。

まとめ

これらが私がアメリカの大学に受験?した流れです。
もっと書きたいことはありましたが、詳しく話していたらきりがないので質問してくださればお答えします。

ちょっとでも関心をもっていただけたら嬉しいです。

次回こそはアメリカの地にカズ到着編を書きたいと思います。

お楽しみに。。。


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