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40代の風戸裕樹(自分)へ

こんにちは、風戸裕樹です。私は28歳で初めての起業を経験し、2014年にはソニー不動産(現SREホールディングス)に企業を売却。現在は世界の不動産のメディアや取引を行うプロパティアクセスを経営しています。

今日から40代(もう社会人18年もやっている!)ということもあり、今日の景色について、50代、60代の自分が昔を振り返るときのために書き留めます。

「ミッションファースト」

時折する瞑想、仕事やプラベートで辛い時、胸に手を当てて問いかけることがあります。「私の存在意義(ミッション)」は何だろうか。

みなさん、個人としてのミッションを持っていますか?

今から3年ほど前、東急電鉄の社員育成プログラムで講演をする機会がありました。

私は、最初に「個人のミッション」を持っていますか?という問いかけをしました。100名ほどいた中で手を上げたのは10名位。多くの人は持っていない、もしくは「ぼんやり」と言語化していない、”人間”はそういうものです。

でも”会社”はミッションをほぼ100%持っている。なんでだろう?個人のミッションは自分次第です。作らない人もいるし、作っている人もいる。

真っ白なキャンバスに自分を表現しよう

私自身、会社に縛られない生き方をしてきましたつもり。会社のミッションが個人のミッションから大きくずれてしまった(ずれていってしまった)会社とは「さようなら」をしました。それが自分が創った会社であっても、です。

私のミッションは会社のミッションとほぼ同義。逆に器用ではないし仕事と個人を分けると、疲れるし混乱してしまうし、「生きるように仕事をする」そんな在り方を大事にしたいから。

サラリーマンをしている人は、そうならないケースもあるけど、一度禅寺にこもるつもりで、真っ白なキャンバスに自分を開放することをオススメします。

私のミッションは「不動産業界の透明性を通じて魅力ある人を増やす」そのミッション・ステートメントの中でわけていくと、やることが整理できます。例えば

伝える:発信していく(書く、話す)−noteもふくめて
体現する:先頭にたつ(行う、する)−世界を見る、知る、取引をする
育てる:仲間を増やす(教える)−人が人に伝えられるように

このようなことで自分の限られた時間を満たしていきたい。それが私の幸せです。

私の場合は、仕事を通じて生まれたミッションですが、仕事が楽しいと思えるのも自分を仕事で表現できているから。

仕事の枠にとらわれないミッションをもっている「あなた」は誰よりも素敵です。

焦らない

子供の頃を振り返ると、また自分の子供を見ると刺激的な反応が多いのでわかります。10代、20代は特に行動の結果がすぐ現れないことに関してはイライラしたりしませんか?日々の進捗や進展がない(感じることができない)と焦っていました。みなさんもそうではないでしょうか。

有名な書籍「7つの習慣」にあるように「緊急ではないけれど、重要なこと」は10代、20代で意識して行うことは難しい。これ結果がすぐ見えないからだと思うんです。でも、その大事さについて、30代に入って少しづつ感じるようになり、40代にかけるより深く考えるようになります。同時に「緊急ではないけれど、重要なこと」が芽を出したとき。自分はまだ生きているだろうか。という問が生まれ、気づくのです。自分に残されている時間には限りがあるのだと。

死(終了)を覚悟する

人生100年時代になったといわれている。日本に限らず他先進国の寿命は伸び続けており、私たち世代で100歳を迎える人は珍しくないのは事実だろう。でも待ってください、人の人生は「今この瞬間に」突然終了することもあるのです。

人生の終了の定義は、肉体としての終了だけではなく、ミッションとしての終了、またその他の意味での終了があるとおもいます。動物である人としての終了はたしかに肉体的な死。一方で多くの人が思い描いているこうなりたい自分、成し遂げたい自分の終了を仮に「ミッションの終了」と言うならば、ミッションに対して興味がなくなった時、それを推進できない状態になったときが自分の終了です。精神的に折れることだってあるし、肉体的に不可能になることだってある。推進できるように戻れればいいけど、今の当たり前が今まで続いていたことが奇跡だと思うことが早ければよかったと思う。

だから、大切にしたいのが健康と時間とお金(の使い方)です。私が習慣として大事にしているそのものです。

父は45歳で「終了」した

父は存命です。45歳の働き盛りで突然、リタイヤを選択しました。理由は大きな病気です。父は45歳のときに、働かないで生きることを選択しました。それ以後、家族以外との人付き合いはなく自分の趣味を中心に25年以上を過ごしています。

引退後何をするか、どうしたいか、いつまでに引退したいのか、それは個人の選択です。父親は仕事が好きで会社も好きで、健康であれば転職をすることもなく定年まで働いていたと思います。

私は私のミッションがあるので、ミッションのための活動を継続できる状態で有り続けたいと思っています。

時間はお金で買えないから

中学生、高校生、大学生、20代。時間は無限にあるように感じていました。やりたいことをやってみて、だめならやり直して、さぼっても一夜漬けすればいいとか。

今感じていることは「時間が足りない」ことです。ミッションもそうですが、それ以外にやりたいこともある、一つ一つを充実させたいという思い。

32歳で最初の会社を売却しました。一定のお金が入ってきました。それから不思議と物欲は急速に減りました。時計がほしいとか車がほしいとか、新しいiPhoneが欲しいとか。iPhoneは2016年に買ったものですが、ずっと壊れないでほしい、そう思いながらバッテリーを交換して使い続けています(笑)。

それよりも、時間がほしい。やりたいことをやり続けて、毎日を終えられたら、これが続いたらなと、毎晩寝る前に感じます。いつまでこういった変わらない時間が過ごせるだろうかなんて考えて、気づいたら朝4時に目が覚めています。

怒り、恋愛、そしてミッション

縁があって不動産の世界に入りました。家族や親戚で不動産をやっている人は誰もいません。そして不動産をやっていることに対して否定的。株と不動産は尊敬されないから職業にするな、言われました。古い人にはそう映るのでしょう。

早稲田を卒業して不動産仲介屋になって、雨の日もチラシを投函し続け、原付きで何度も事故をしても、それでも楽しかったわけです。ただ勉強ばかりしていてた学生時代とは違って、行動した結果と人の反応が新鮮だった。それはリアルな世界で、社会からみたら学生時代の自分はバーチャルの世界くらいの差がありました。

20代で3回も転職もしました。ただ他の業界に転職しようなんて全く思ってもいなかった。どっぷり不動産ビジネスに浸っていました。その中で感じた怒りからビジネスで不動産業界の変革を始めることに至った。

不動産取引で出会うこと、感じること、トラブルを含めてすべて好きです。ときには苦いこともあるし、胃が痛むこともあります。怒りからハマったこの世界に恋愛しているようなものでしょう。

そして冒頭の私のミッションになっています。

そのために設定しているマイルストーンがいくつもあって、そのためにやりたいことがたくさんあって、時間がないんです。

2016年に意識的に世界をフィールドにしたことは英語ゼロの自分には大きなチャレンジだった。

自分が一人の体現者として、伝えて育てていく。子供を育てるときに親が出来ないことを伝えて、教えることは難しい。自分が100%できるわけではないけれど、不動産を愛する一人の体現者となり、この世界にいることが何より幸せを感じます。次世代に繋げられるように魅力的な世界に。

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