卒業式の話。
どうも~!今日もお疲れ様です。カザミドリです🐓
とうとう3月2日から小・中・高校の休校要請が出されてしまいました。これを機にちょっと卒業式の思い出🎓について振り返ってみようと思います。今日は就活の話はお休みします💤
※東日本大震災に関わる話を少しします。もし、あまり読みたくない方がいらっしゃいましたら読み飛ばしてください🙇
今後同じような経験をする子が出ませんように…
私は中高一貫校を卒業しています👩🎓そのため、中学の卒業式は全く寂しくもなんとも思いませんでした。むしろ、退任発表などを聞いてみんなで大騒ぎしていたので、楽しかったなという印象しかありませんでしたw
高校の卒業式はさすがに涙ボロボロでした💧「仰げば尊し」を皆で涙しながら歌う。ホールを出た後に、皆で涙でボロボロの顔で写真をたくさん取り合ったのを記憶しています🎶
今回私が話したいのは、小学校の卒業式です。こんな経験はとても珍しく、今後同じような経験をする子が出ないようにと祈るばかりです🌸
小学校卒業年度は2011年3月
この目次を見て思うところがある方がほとんどだと思います。私は東日本大震災があった年に小学校を卒業しました。都内の私立小学校が私の母校です。
震災当日、私たちは体育の授業を終え、掃除をしたり帰り支度をしていました。私は友人たちとトイレ掃除をしていました✨私立の小学校とはいえ、中学受験率が高い小学校だったのでそれぞれの進学先の話や制服の話などに花を咲かせていたことを覚えています。
突然めまいがしたのであれ?🌀と思ってトイレを出ると先生に手を引かれて教室に連れていかれ机の下に隠れるように言われました。友人たちも私も何が何だかわかりませんでしたが、それはめまいではなく、歴史に残る大地震でした…。
初めて親無しでのお泊り
先生から携帯電話を返却してもらい、私たちは中庭に集められました。親が迎えに来た人から順に帰宅していきました。私を含め、電車通学の生徒がほとんどだったため、皆で体育館に泊まることになりました。
私は、一番楽しみにしていた修学旅行を熱で欠席していたので初めて友達とお泊りするという現実が嬉しくてみんなで遊んでいました。
体育館で布団を敷いて眠っていたところを先生に起こされ、職場から2-3時間かけて歩いてきた父親と一緒に帰宅しました。
母親に「よかったぁ…。」と迎えられテレビをつけると、原発のニュースが流れていました…📺
ひとりぼっちじゃない。
そこからの出来事はあっという間でした。卒業式はどうなるんだろう…。早くみんなに会いたいなという思いあったのになぁ。
父が働く企業から、社員が仕事に集中できるように社員の家族は会社が用意したホテルに一定期間移動するようにというお達しが来ました。ホテルへの移動日は卒業式前日でした…。
小学校の制服を最後に着る日。私は一人で小学校の正門をくぐりました。まっすぐ校長室へ行き、扉を開けるとそこには…!
小学校の教職員の先生方が全員笑顔で出迎えてくださったのです😊今思えば、震災の影響で今後の対応に追われていたり、お忙しいはずなのに私のためだけに仕事の手を休めて駆けつけてくださったんです。
沢山の先生方に見送られて、私は小学校を卒業することが出来ました。しかし、わがままを言うなら私は「みんなと一緒に卒業したかった。」
中高の卒業式を6年間の青春時代を一緒に過ごした友人たちと共に迎えられたことは本当に幸せでしたし、卒業式は人生のうちに経験できるのはそれぞれ1度きりです。
コロナウイルスの影響で、沢山の小・中・高・大学で卒業式が中止になったりしています。私が通う大学でも卒業式が中止になり、先輩方から残念がる声を多く耳にします。
最悪の場合、命に関わるようなことなのでしょうがない事とは思いますが、いち早い終息を願うよりほかはないのかなと…。参加者を卒業生と教職員だけにするなどして卒業式はやってもらいたいなぁ…。
何よりも自分の安全が第一。皆さんも気をつけましょうね🌸
✈Have a nice day✈
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