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【小説】臘雪と垂迹

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1

 霜枯れた松梢に埋もれ、虚に顫動する雉子は、垂雪に紛い落魄する。枯凋した躯体を煽る松籟は颯々と、雪面に伏す双翼へ纔に翳る。扮飾を纏う丹華の如き肉垂は、俄に皓白な地へ瀝り妙々と、漸次硬結する骨肉の褪色に比し、殊に鮮烈な余韻を引き、凜冽を包含して甚だ冴ゆる。乾坤の只中煤ぶる屍骸は、煙霞を佩ぶ心鏡に映発し、痼疾である澆薄な私心を故ら揺り、雪雫が氷晶へ転ず須臾を一瞥す。
 諏訪湖を囲繞する杉木立は、冠雪の掩蔽に樹梢を暈し、縹渺たる天日を賜る。其の朧な樹幹の聯立が、北颪に颯と揺動し、朴直で白妙な灰燼を塗す。朔風に萎凋し皺む白梅の、柔な膨らみを瞥見し、古格に則る祭祀の下拵へ赴き、一心に歩武を進める。厳寒に凍え頓に悴む途次、雪天を瞻仰し際涯を眺むと、鷹揚する御鷹が精強な美を呈し、遍く文化の結晶たる雅な体貌は、壮麗な自然の調停を担い、睦みを齎す精神を徴す。
 趣致に富む雪景は殊に冬めき、白梅の馥郁は往時を偲ぶ縁と化し、其の縷々たる文化の一端は、紗幕の垂水の如く滔々と、白𣑥を呈す雪の陸離を孕み、別て鑽仰の意に諾う。

2

 鄭重なる祭祀の域へ到ると、厄年の益荒男が老若を渾然とし、其の豪壮で闊達な蝟集に倣い、社殿造営に肝要な御神木の剪定へ赴く。祭祀の催しは旧套に即し継承され、一統となる信仰は旺盛な炎を象徴とし、悉に躍動する外焔の狼藉が、墨守に対す違背の意を鎮め、森羅を偲ぶ畏敬の念を発露する。昂る男衆の気韻を欠く生動は、自然を唆る収攬に満ち、銘々に民俗行事の余情を附す。
 山林の参集に乗じ成行を眺む途上、堅牢な男衆が斧を把持し、樹幹を幾度も打擲する度、清かな顫動が樹皮を剥る。樹霜の扮飾を纏う梢の揺動が、垂雪の翳に舞う木屑を掩し、雪面に鏤む木片の端々は、樹木の切削に伴う軋轢に潤色を施す。罅ぜる枝々の響きは狼藉を佩び、宛ら骨肉を削ぐ摩戛の如く、静謐の只中へ卒爾として倒木する。
 社殿の主柱を担う御神木を伐出し、老若の男衆が分派して運び、霧雪の濡降る麓を下り、靄掛かる温泉街を漫歩した末、道祖神の祭祀の域へ曳き回す。
 御神木の随所に縄を括り、男衆の躯体へ幾重にも絆し、櫛比する屋並みに添い喬木を摺る。麻縄は衣擦れと擦過を附し、邁進する体躯を漸次に引絞り、肩部に担う大樹の重厚さが、臘雪の凜列に悴む肌膚を捲る。軋る躯体は矜持の面に秘匿され、雪道を這う御神木の風韻と、爾後に引く雪面の軌跡が、御神渡りの如く流麗であり、諏訪に息衝く雄渾を感得した。
 御神木を曳く沿道の家屋から、数多の御神酒が奉納され、其の度男衆は雄々しく歓呼し、剛健と雄邁を殊に誇示する只中、道祖神の手締めが拍子を打ち、旺盛な様を眺む見手へ瀰漫し、俄に御神酒が一献傾く。
 御神木を曳き祀場に到ると、男衆は銘々の務めへ霧散し、汲々と社殿造りに精魂を込める。酒気を佩びた老衆は為事に専心し、虚な眼睛に澱みを湛え、若輩は社殿造立を支持する基を組み、金鉄の支柱を打擲し闊達さを顕す。
 男衆が屹立させた御神木の表面は、皓々たる陽光を佩びて艶めき、社殿の軸心を担う精悍さを顕にした。燃草の傍に小腰を屈め、枝木を纏めて縛る途次、剥落する薄い樹皮は清かに、雪面へ鏤んでは綯交じり、余燼燻る梢が罅ず灰の如く散じた。切削した用木を老輩が抱え、支柱の一樹を囲繞するが如く、四柱の聳立する只中へ赴き、軸柱に燃草や枝木を絆した。
 軸心の御神木に橅の樹木を交叉させ、桁を組み垂木を架け舟型に築造する。男衆の掌を伝う万朶の枝は、社殿に攀じる老輩へ渡り、頂部へ重畳する種々の枝木は、褪色した空疎な梢の錯綜を経て、厳寒の只中へ隠然と馴染みゆく。枝木に松の針葉を敷き、社殿上に朗唱の場を構え、火祭りの攻防に利する火付の麻稈を掛ける。注連縄で絆された御神木の輪郭は、殊に儼乎たる風格を顕す。

3

 薄雲が朱を刷く入相に、男衆の酋長が篝火を賜う、火元貰いの儀へ遷る。採火は聯綿たる古式に則り、燧石を打擲して火を灯す。老輩の厄男が囲炉裏に端座し、道祖神の唄を奉唱する途次、御神酒の盃を一献傾ける。武骨な掌に把持され、盃で淡く揺蕩する水面は、漆器の底を徹して仄かに紅潮し、熱る一顰は内朱に染まり、御神酒の酒気を呈して、眼前で顫動する炎を反映していた。斎火を漸次松明へ継ぎ、酋長は堵列を成して徒を拾い、道祖神の唄を微吟しながら、祭祀の域へ斎火を輸する。
 社殿御前の篝へ斎火を灯し、杳然たる夜半の冬に赫々と熾き、慇懃な所作を呈する巫女の、楚々たる容貌が纔かに照り、其の清火の幽けき光は、婀娜めく体動と符節を合し、徐ら揺動する装束の裾へ届く。緋袴の絹が仄光に暈され、宛ら芙蓉の花卉の如く、手弱女の麗質を誇示した。
 粛然たる式礼を経た巫女の、颯々と頽れる柳髪は、冬枯れた寒凪の冴ゆる須臾、清冽な雅致に富み、擡げた面の輪郭を仄光が弄い、嫋々たる眼瞼の跳動が、凜乎とした睫毛に翳る明眸に、懶く静謐な潤いを附す。雪嶺は酷寒の宵に暈され、其の際涯無い稜線の重畳は、縹渺たる水墨の如き眺望を呈す。
 弓手に据えた御鷹に扈従し、矍鑠たる鷹師が篝へ歩武を進め、組紐の大緒を束ねて捧げ、徐に腕を擡ぐ巫女へ御鷹を献上した。撓む袂に覗く巫女の繊麗な弓手に、泰然と慎む御鷹の、健脚に絆された韋緡が佩びる光沢と、尾羽を括る小鈴が清廉な音調を奏で、玲瓏たる嘴を慧敏に揺すり、精悍な面貌に冴ゆる眸は、強靭な躯体へ調和される。
 悠々と佇立する巫女は、躍如として荘厳を纏う御鷹を、鷹師の弓手へ据え、涵養の拝命を承る鷹師は、放鷹に仍りて獲た雉子を掲揚し、其の死肉を神饌とした。小夜の冥暗と紗幕の如き白妙は、半紙に瀝る墨痕を彷彿とさせ、玉屑の綾なす対比を殊にし、耳朶を打つ歓声に紛れ、旺然の裡に罅ず枝木の余情は、霧散する火片に伴い灰燼に帰す。
 酋長が濫觴の火を熾し、漸次燈籠の奉納者や村民が倣い、男衆は篝から松明へ分火した。奔騰する炎を天に掲げ、喚叫を発し奔走する男衆は、其の躯体を儕輩へ打擲させ、堅牢な渾身は擦過し、流汗に湿る膚肌が膠着する。男衆が社殿に炎を打付ける途次、翻る火先は甚だ猖獗を極め、赫々たる火片を撒き躍動し、纔かな樹木の余燼を漂動させた。
 精彩の濫費は衆人を鼓舞し、凛烈を劈く裂帛の気合は、渾然と犇く骨肉の只中、頬辺を焦す苛烈さを散じ、猛る肉体の激越な生動が、朦々たる火煙の端に隠顕する。
 熾烈な炎火の攻防の末、篝火を社殿へ遷し延焼を齎す。火先を擡げ暴慢に猛る炎は、御神木を這い天へ奔騰し、社殿の各部へ類燃する炎の輪郭は、囂々たる響きの裡に蕭条を湛えた。爛然とした火中へ初灯籠を擲ち、社殿を焦がす炎は凄烈なる火勢を顕し、道祖神祭りは掉尾を飾る。初灯籠は社殿へ凭れ掛かり、甚だ延焼する炎は中心柱を蹂躙し、水楢に連なる杉を這い、御幣は須臾にして灰燼と化す。柳枝の如く下垂した竹籤が焼落ち、回禄の狼藉を俄に観じた。
 狼藉を齎す祭祀は終幕を迎え、闘乱の見手は方々へ去り、溌剌たる叫喚は玉屑の底に沈み、宛ら盈虧の如く遷る炎が、耀う月翳の盛衰を殊にした。偶さか瞻仰した夜陰には、彼我の境を暈す叢雲が、月輪を弄い濛々とし、隠顕する薄月の淡い返照は、雅趣に富む高尚さを孕み、白梅の蕾が罅ずが如く和らぐ。

4

 八ヶ岳の源流は数多の水脈を張り、谿間を経て多岐に渡り滔々と、諏訪湖に聚み掉尾を飾る。水門は天竜川が流路を為し、伊那谷を南下し諏訪の地に水尾を引き、霜結ぶ滸に凍む斑雪が、汀の耀いを雪代混じりに淙々と、其の皓々たる返照に眼睛を眇め、頬辺の焼痕が滌がれる感覚を抱き、天竜川を遡上し照光寺へ歩武を進めた。
 大日如来を本尊とする照光寺は、潔白な雪景を敷衍し、蕭々たる玉響に松籟を湛え、本殿の庇に撓垂れる松は燻み、叢生する針葉の尖に朝暾を佩び、瀝る雪解水は玉塵に帰す。梢に紛う群雀は羽毛を震い、弧線を呈す身体を膨らませ、其の斑紋に滲る雪の白妙と、頬部の黒点を眺む須臾、颯然と羽搏き乱飛した。瞻仰した天の燦爛たる眩みは、伏した眼瞼に温みを齎し、和やかな光明を観取した。霞む双眸で眺む大日如来の像形は、日暈を佩び模糊たる妙趣を呈し、荘厳な形姿に溢る情調は、慧眼を瞠る御鷹の面影に綯われ、心中に去来する情念を抱く。心象の御鷹は垂迹を経て、殊に精悍な面を呈し、強靭な筋骨を纏う体躯、流麗な弧線に顕る犀利、貌に遜色無い高邁な精神が、精妙巧緻に綯交じる。
 悄々と櫛比する樹は冠雪に満ち、霜枯れた杉木立を眺む途次、深雪の溢る眺望は纔かに霞み、其の輪郭は玉屑に暈される。颯々たる寒気が肌膚を弄い、熱る躯体に凜冽が凍み、底冷えの徴候を抱き、旧中山道を経て慈雲寺へ赴く途次、古山道沿いの連峰は、聯綿たる山岳信仰の景趣を湛えた。
 故人の貫徹した崇拝は、風光明媚な諏訪の山岳に瀰漫し、淵源から濤々と引く水脈や、裾野を広ぐ八ヶ岳の鷹場、雪嶺に聳立する枯木、諏訪湖の氷面を劈く御神渡り、斯くの如し貴き形象に、孜々たる畏敬の念を観取した。御山に鎮座し奉る神奈備は、高尚なる祖神の御加護を賜り、曩祖の招請を為す霊廟とし、其の神奉に憂身を窶し往時を偲ぶ。峭立する八ヶ岳は諏訪を囲繞し、荒魂の澎湃たる御神火を畏み、其の篤信は往古へ杳々と、信仰は衰退の一途を辿り、深雪の底に微かな璆鏘を蔵す。
 旧中山道を辿り附近を漫歩し、慈雲寺の参道に到り、石段に扮飾を施す龍の彫像が、粛然たる風韻を顕にする。瘤の如く隆起した眉骨と、昂然たる矜持を醸す眸が嵌り、隆準にして濘猛な鼻柱に、靡く美須は嫋々と撓み、弛む口唇から谿水が横溢し、往来する諸人を潤すが如く、淋漓たる清冽さを呈す。
 名刹慈雲寺の惣門を潜り、枯木の調和が織成す境内に、堵列する杉木立が屹立し、吹捲る北颪に颯々と戦ぐ。山門には憤激の形相を呈す阿形像が、峻厳なる眼睛を瞠り睥睨し、対峙する吽形像は怪訝な面貌を湛え、甚だ懶い睚眥で凝望する。飄々たる朔風の琳瑯に、霄壌な阿吽は徐ら符節を合し、枯山水を覆う玉塵の情景が、胸懐の余燼を映ずるが如く、爾後の塵埃を示顕した。

5

 諏訪大社下社春宮へ歩武を進め、眼前に聳立する御影石の鳥居は、荒肌の石目に灰白と黒点が調和し、細微な氷晶を纏い、弧線を描く笠石の冠雪や、玉砂利の間隙を浸し掩蔽する玉屑は、累々たる死灰の如く鏤み、燻る畢生の燼余を冱つ。松涛に扇がれ蹌踉めく躯体の、玉屑に映ゆ翳が顫動し、宛ら揺曳する氷霧の如く、朧々たる廻雪に紛う。
 徒を拾い赴く浄域に、奉迎に従す神楽殿が端立し、御扉に垂る白綿の神前幕は、舞殿の内陣を淡く徹し、裡面に纏う雪景を反映する。神楽殿に奉納されし雅楽や舞踊の、臈長けた気韻が漂い、縷々たる文化の相承と、往時を偲ぶ雅趣を感取した。
 参道を漫歩し二重楼門の幣拝殿へ到り、絢爛な扮飾を纏う御前へ赴く。四隅に屹立する樅木の御柱は、針葉の梢と樹皮が剥落し、疎に節榑立つ瘤の隆起は、厳冬の薄光に照り爛々と、滑らかな灰白の樹肌を顕に、先窄む尖端を天へ掲揚する。
 対峙する宝殿の狭間、聳立する貴き御神木は、苔生す枝節に撓む梢を放擲し、叢生する木立に紛い樹冠を暈す。春宮の御神体は尊く、自然現象への畏怖の念が示されており、須臾に迸る身を焦がす感覚は、衰微を辿る崇敬の余焔を抱き、法式に即す拝礼の儀を為す。
 掬上ぐ新雪は手掌の温みに解れ、其の泡沫の如き露命が、宛ら夭殤に身罷る御鷹の、憐憫を誘う畢生に帰す。悪癖に手余し抛棄され、萎靡した御鷹を継ぐ庇護の末、悉く落鳥した往日を偲ぶ弔意が、憂身を窶す程に服膺を殊にした。
 其の御鷹は大和と称呼され、近代化と欧化の一途を辿り、洋才賛美の文化や粗悪な環境下、魯鈍な鷹匠に涵養を受け、蒲柳の質へ衰弱した。蹊径に憚る門灯の櫛比に、夜半の暗晦は悉く暈され、涵養に弊害を齎す環境と化し、鷹匠に猜疑を募らす御鷹へ変貌する。塒の時機を逃し換羽は亂れ、尖端の剥る鉤爪や野鄙な嘴は、煤け佩びた扮飾を纏い、気韻を欠く体動を呈す。残飯の肉塊で涵養を凌ぐ御鷹は、羽軸が脆く粗雑な羽弁を纏い、躯体を擡ぐ須臾に羽根が散り、余喘を保ち奄々と顫動する。
 多岐に渡る感染の兆候は、肺腑に殖る真菌を認め、御鷹の体躯を疵付けた。著効を齎す西洋薬を見附け、渋難の末肺腑へ服用を試むが、効用乏しく光線過敏に陥る。鷹部屋の嵐窓を閉じ掩蔽し、窮迫甚だしく憔悴する御鷹は、暗澹たる余地へ溺すが如く、細緻を窮む精神は陋劣に服す。虚脱する鉤爪は止木に撓垂れ、雪垂に紛い白梅の葩卉が零るが如く、滋味溢る鷹架から落鳥した。
 拝礼を捧げ幣拝殿を退き、叢生する屹々たる木立の一端、参道に添う結びの杉を瞻仰した。魁偉な杉の樹幹は殊勝を醸し、根蔕から頒つ幹が枝房を垂れ、咫尺の余地を縫合するが如く、軀幹を捩り樹梢を綯う。罅を晒す懦弱な樹皮に、柔く弄う須臾に頽る樹霜を纏い、宛ら山水画の如く雪景へ融和する。
 雪代が苔石の間を滔々と、宛ら冴ゆる霜を摺り頽し、冬枯れた不香の花を醂すが如く、峭寒の清冽を湛う只中、歩武を進め授与所へ赴く。授与所の巫女は慇懃に一揖し、莞爾たる微笑を湛えた。
「御朱印と鹿食免を頂けますか」
「ご用意いたします」
 顧みる巫女の袂は廻雪の袖の如く、其の装束の袖に覗く手端から、高邁な扮飾を纏う御朱印と鹿食免を賜る。
「先日の道祖神祭りですが、拝命の儀を行った鷹師の方、ご存知ですか」
「桂樹さんですね。あの方でしたら、しばらくは白駒荘に滞在されるようです」
「八ヶ岳の白駒荘ですね。ありがとうございます」
「ええ、そうです。お気を付けて」
 授与所を退き、手掌に収む瀟洒な御朱印の、雄渾な印字の膚合を弄い、鹿食免を開披し諏訪の勘文を抜く須臾、紙擦れの一毫たる音調は、清潔な和紙の純白を殊にした。

6

 諏訪神社に伝承する勘文は、業盡有情、雖放不生、故宿人身、同証仏果と揮毫され、旧故の宿業の尽く生類は、等閑に付しては長命せず、故に垂迹を拝し奉り、其の御身へ合一を経て、寂滅の境地へ到ると、叙説が添えられている。
 鷹匠は心術と諏訪の勘文を戒飭し、累日の涵養や修練に励み、虚飾を纏い能書に僻す事を諌め、御鷹に祗候し克明な術を体得する。垂迹神の御鷹を貴ぶ心魂は、君主へ供奉を献ずる精華であり、鷹道具の授受の一端迄も畏み、儀式的な礼法を遵守し、放鷹術を軸心に据え精神を鞠育する。涵養を経た御鷹は玻璃の鏡の如く、己の精神を巧緻に映し、姿態の端々へ悉皆顕る。啻に遊猟の道具と扱えば、躯体は煤け羽根は損耗し、其の体貌は俗欲に塗る衆愚の如く、疲弊を湛う所作が卑陋な風格を呈す。
 不撓な忍辱を具す鷹匠が、御鷹を崇高な精神へ練じ、狼藉を極む狩猟に寇す。弓手が放る御鷹は雪月花へ渾然と、玲瓏たる風光へ溺す須臾、其の瞻仰が衆人の感性を踰え、怜悧な鷹眼を介し自然を観じ、人鷹一体の境地へ到る。御鷹の齎す醇乎たる欽仰は、主君や神祇へ謝儀を示す故、戒飭の念を殊に服膺する。
 精妙なる精神を貫徹し、放鷹術を体得した諏訪氏大祝は、獲物を神饌とし奉る儀礼を為し、祭祀たる放鷹を敷衍した。贄鷹の神事は御射山祭に現存し、祭時は勢子に励む一叢の農夫を率い、幾日に渡る豪壮な山狩を遂げ、現人神の形代を担い神事を執行する。
 現代の鷹文化の崩壊に伴い、御鷹場を庇護する規定は一掃し、私猟と銃猟の勃興を経て世俗に塗れ、俗欲に浸る趣意へ変容した。御鷹場に轟く銃猟は囂々と、其の狼藉は鼎の沸くが如し、里山に息衝く自然は悉く排斥され、自然信仰に基く畏懼の精神は、甚も衰亡の一途を辿り、近代化の波濤に惑い凋落に伏す。敬畏の薄る放鷹術の只中、時折り擡頭する一己の放鷹は、匠な技倆や精神の闕遺が為に、自然崇拝の廻天は乏しく、皇尊への崇敬も式微へ向き、御鷹場の再建は徒労に帰し、落魄する鷹文化の余薫が、雪景に飄落する梅の馥郁に紛う。
 皇尊の奠都と文明開化に伴い、衣裳や鷹匠装束は悉皆頽れ、儀礼的な趣意に限る扮飾と定め、奔騰する洋才が殊に膾炙し、自然崇拝や和魂に虚を齎す。明治政府の管轄で宮内省を設置し、歳月を経て浜御殿及び新宿御苑に、猟を嗜む鴨池が開設された。浜御殿は皇尊の行幸を仰ぎ、廉潔な御稜威に賜る途次、自然災害の狼藉を経て廃止に陥る。
 趨勢は釁端を開くに到り、野鳥を放逐し作物を護る術は、畢竟干戈の技倆へ転化し、敵勢の軍鳩を狙う放鷹に努め、鷹匠は軍陣に即す涵養に励む。其の帰趨は砂上の楼閣の如く、干戈の御鷹は出征を遂げず、烏有に帰す放鷹術の精神は、烏滸な戦火の残滓と化し、尾羽打ち枯らす御鷹を蔵み、終戦を迎えた。
 時勢の変遷を経た鷹文化は、風儀に則る御鷹の献上や、奉納の儀が殷盛した。祖神の崇拝と皇尊へ誠を示し、鷹主へ真摯な忠義を誓い、和魂の象徴たる御鷹を献上する。古技と儀の伝承は苟且に帰し、戦火と近代化の巨濤に呑まれ、霏々たる空爆の、殷々と瀰漫する燎原の火に、野山の鳥は放逐された。相次ぐ飢餓と食糧難に苛まれ、山岳に息衝く野鳥は乱獲され、外来種の跋渉が甚だ横行した。
 浜御殿は東京に下賜され、残る鴨場は新浜と埼玉に限り、御猟場は洋風建築の宅地へ変貌した。招待客を饗す接待鴨猟は、古技の慣習と文化が頽れ、放鷹の機縁を喪失した。鴨場の技法は瑣末と化し、溜池に聚む野生の鴨を、家鴨が引堀へ導き、絹糸で拵えた叉手網を用い、羽搏く鴨を捕獲する術へ遷る。放鷹術は公の威光を喪い、精神の頽廃は甚だしく、縷々たる相承は散逸した。
 敬虔な拝礼を胸懐に収め、裾野を広ぐ八ヶ岳へ歩武を進めた。

7

 諏訪湖東方に屹立する八ヶ岳の聯関は、重畳たる峻険な岩峰を基に、朴訥な苔は淡く露霜に掩蔽され、雪嶺の扮飾を纏う。厳冬の凍む冽きに、八ヶ岳の白妙は殊に凛然と、其の峻厳に蔵む信仰の余光が、陸離たる雪景に揺曳する。靉靆は山顛に沮まれ逗留し、霏々たる降雪が御神火を鎮め、相克の末に均衡を保ち、灰土は涔々と奥妙へ聚む。
 往時を偲ぶ仰望の淵、忽焉と懐う御鷹へ帰依し、渇仰の窶れに凍む雪代の如く、滾々と潤い躯体に盈ち、心象は雪片の端々に消ゆ。玉屑に帰す思惟を抱き、北八ヶ岳の白駒荘へ赴く。
 白駒の池と揮毫された木板の、枝節の余情に附す斑雪を一瞥し、白駒荘へ続く蹊径へ歩武を進めた。四十雀の璆鏘な囀りを拝聴し、針葉樹の軀幹を手掌で弄う。雪に紛う四十雀が羽繕いに興じ、薄白い瞬膜が眸を隠顕させ、屡々喉元の羽毛を顫動させた。
 針葉樹が相和す原生林は仄暗く、常緑の梢は雪垂りを下し、重畳する木翳を縫うが如く、板張りの蹊径が聯なる。木道の質朴な軋みは、峙つ木立の樹皮へ浸み、冷然たる雪嶺を殊に顕す。
 蓊鬱たる白駒の杜の奥部、濡れ雪浸る木道は退色し、囲繞する苔の叢生は、清かな瑞花に掩蔽され、紊乱する倒木や枯木の断片、薄雪に徹す疎な木苔が、卒爾として垣間見える。
 樹氷を纏う米栂が樹冠を広げ、皹る灰白の樹皮は剥れ、枝先に球果が膨らむ。先窄む唐檜は柔く撓み、飄々たる朔風に揺動し、染葉の枯れ落つ寒樹の岳樺は、梢に臘雪を佩び脊梁の如く、其の骨格を北颪が削り、廻雪を上げ縹渺と崩れ、玉響の雪煙は灰燼に帰す。樹木は擦過し啾々と軋み、積雪を踏み蹣跚とする只中、微睡に耽る御魂の鼓動が如し、雪冴ゆる静謐に瀰漫する。
 樹梢を垂る雪煙は、酷寒に赤む頬辺に附し崩れ、須臾にして玉屑と化し、其の玉塵へ袖を翳し払う途次、凍氷る鶯の涕涙が零るが如く、潸々と膚肌を濡らし、躯体を刺す凛烈が余韻を引く。
 山荘の近傍へ到り、万朶に溢る皓々たる天日が、眼睛を突く絢爛を殊にし、雪景に眩む眸子は眼瞼を伏す。冬枯れた白駒の池に朽葉が沈み、夢寐の葉を浸す清冽に、純乎たる雪代が滲み、瀞の湛水は冴々と凍む。瀬々の網代に簇る氷魚は、清澄な躯体に翳を孕み、明媚な玉藻へ寄縋る。
 桟橋へ赴き小腰を屈め、水面に漂う菱を弄い、纔に沈潜する盛衰の汀、顫動する葉身が水紋を広ぐ。波紋の重畳は水影に紛い、忽如炯々たる水面の耀いに、時宜を図るが如く瞻仰し、雪嶺に扮し咲き零る白梅を、一枝手折り手掌へ収む。葩卉は馥郁たる馨りを散じ、劫﨟を経た塒出の鷹の如く、醇美な和の神魂を醸す。
 斉放する不香の花は白駒荘を囲繞し、其の瑞花は白梅の華時に霏々と、皚々たる白妙の雪間に吹靡く。膚肌を穿つ峭寒の只中、喨々たる高啼が岨道に谺し、雪嶺の谿間へ凍む。瞻仰した天に実像を結ばず、玲瓏たる天籟は何処へ消え、高啼の節目に冴ゆる。寸刻の嚠喨が耳朶を弄い、翔破の躍動に渇仰を念じ、須臾に迸る敬虔の淵、神魂の原拠が判然とする。宛ら伽陵頻伽の如き声遣は、濛々たる靉靆へ没し、天籟と符節を合し諧和した。
 雪折れの梢鏤む山荘に、鷹匠装束を纏う老師が佇み、憂身を窶し天日を仰ぐ。柔靭な唐檜から雪崩る集塊と、重畳する松の梢は蜿蜒に、鷹師の黒袢天は所作に応じ翻り、北颪の余風が痩けた頬を弄い、鳥打帽の庇に翳り落窪む眸は、年輪を刻み悄然を湛う。足革を把持する弓手に、国威を纏う御鷹を据え、殊に儼乎たる風韻を呈す。御鷹は猛々しく頸部を擡げ、双眸を瞠り致誠を観じ、秀麗な翼を躯体に畳み、堅牢な釣爪が鞢を把捉する。
 弓手を引く悠揚たる所作に、双翼を広ぐ御鷹は靦然と、風切に松涛を孕ませ、宛ら行射の体捌きの如く、投擲の体動と符節を合し、反正する鷹師の挙動に伴い、天籟を佩ぶ御鷹は靉靆へ舞う。風切羽が後方へ大気を流し、浮揚する躯体を躍進させ、颪を打擲する羽搏きは稜々と、尾鈴の琳琅たる風韻を奏で、厳冬を鷹揚に帆翔する。
 鷹師は腰元に佩す打飼袋から、清雅な漆の餌合子を攫み、拍子木の如く蓋を打ち、屡次に及び渡りの韻律を撞く。樹上の泰然たる御鷹は、常盤の松梢を蹶然とし、梅の葩卉が零るが如く滑空する。松籟を孕み柔く双翼を靡かせ、尾鈴の璆鏘が熄むに伴い、玉屑を蔵む御鷹は鞢を把持す。
 風韻枯寂に帆翔する須臾、威光を纏う悠揚たる躍動、静々と皚雪に紛う御鷹は、寒樹の梢に百鳥を追立て、湖水の皚々に千鳥を蹶立る。飛翔の軌跡は流線を描き、宛ら邯鄲の夢の如く、無碍自在に往来する。
「居住まいの美しい鷹ですね」
 鷹師の武骨な指端は鳥打帽の鍔に触れ、翳り佩ぶ眼睛を晒し、豪胆な眉目が殊に冴ゆ。
「日向という鷹だ」
「羽根が白梅の様に艶やかです」
「この鷹は四塒を経ている。鷹は塒を重ねる度に、生まれ変わるかの様に美しく、そして聡く智慧をつける」
「繊細な鷹と呼吸を合わせるには、古来から紡がれる情緒を、心に留める必要がありますね」
「その通りだな。鷹に仕えるのは、光栄なことだ」
「私も鷹に仕えたいのです」
「まだ若いだろう」
 弓手に粛す崇高な御鷹は、蹲踞に潔むが如く躯体を傾ぎ、掌に収む餌合子に嘴を入れ、累々たる丸鳩の肉片を啄む。御身を擡ぐ所作の風趣は、雪景に映ゆ緋の肉叢を殊に、有為を屠る狼藉を呈す。
「鷹師の桂樹さんでいらっしゃいますね。放鷹術を教えていただきたいのです」
「今さらそんなもの身に付けてどうする。人々から忘れ去られ、押し殺された文化に、何を期待している」
「私は何も望みません。ただ、本来の精神を甦らせ、鷹と共に自然の中で生きてゆきたいのです」
「その精神なんて、今の人には縁のない事だ」
「東洋の精神は生きています。ただ自らの手によって、心の底に沈めているだけです。沈めなければ、生活に適応できなかった」
「鷹は消耗品じゃない。無駄に消費して良いものではないんだ」
「無駄にはしません」
「鷹が思い通りにならないからといって、粗雑に扱う人ばかりだ。その度に鷹を廃棄しなければならない」
「粗雑に扱いません。鷹に仕えることを、生き甲斐とします」
「鷹狩りはな、今となっては生活の保証すらできない程だ。生きる事もままならないのに生き甲斐か」
「自分の命が尽きるまでの片時でもいいのです」
「昔の仲間たちは、何人もこの道を降りていったよ。なんせ金にならんからな。今ごろ社会に溶け込んで、上手いことやっているだろう」
「金銭なんていりません」
「お前もすぐにそうなる。まともに続いたことなんてないさ、皆途中で投げ出して降りてゆく」
「投げ出しません。生まれた意味の無い自分に、意味を持たせられるのは放鷹しかありません。御鷹の為に生き、御鷹の為に死んでみせます」
「そうか。それは結構な事だ」
「桂樹さんが受け入れてくれるまで、この山荘の前で待ち続けます」
 鷹師は山荘の傍に建つ鷹部屋へ赴き、御鷹を止木へ鄭重に据え、蕭条に盈つ山荘の木戸を引く。入相の余光を蔽う宵は、須臾にして天涯に瀰漫し、小夜に映ゆ深雪の白妙を顕す。

8

 霧雲が暈す稜線は茫漠と、稠密な寒夜の天涯の淵、月翳に紛う鴻声が徹し、枯木の犇きを殊に厳寒が深む。軒下に坐し膚肌を伝う冷感は、蹲る身躯の端々に凍み、底冷えを誘い軀幹を冷し、真清かに透る酷寒が膚身を搗き、杳然たる余地を蔵む掌の、寸毫の淡紅が輪郭を顕す。
「まだ居たのか」
「はい。もちろん」
「そうか。巫女から良くするようにと、言われているからな。無碍には扱えん」
 瞻仰した鷹師は渋面を湛え、更闌くに瞭々たる眉雪に、老骨の皺を刻む。
「ほら、なにしてる。中に入れ」
 招かれる通りに中へ向かうと、房戸に粛す女将が面輪を伏せ、散り菊の御召の和装を翻し、柔く頽る上前を摘上げ、健脚を手掌で伝い、徐ら柳腰を落とす途次、上前の裾を膝下に敷き、澹々と坐し毅然と為す。光沢を佩ぶ漆の羽織を纏い、襷掛けが袂を騫衣し、梅の馥郁を纔に鏤む。襟元に覗く瀟洒な肌は、﨟長けた熟人の婀娜を呈す。
「私の部屋に一人いれてもいいだろうか」
「ええ、もちろん。かまいませんよ」
 鷹師と女将は些少に寸話し、体動の一端に溢る優艶と、熟人の気韻を佩ぶ韻律の重畳は、猛寒に凍む玉屑の如く、冴々しい高貴に盈つ。
「あなたが弟子入りを許すなんて、めずらしい事もあるものですね。しかも、こんなにお若い方を」
「偶さかの巡り合いだな」
「そうですか」
 談話を為す女将は着崩る衽を繕い、手掌を上前に添え端立し、藺草の馨りに往古を偲ぶ客室で、女将は指端を揃え一揖す。身動ぐ所作は撓やかに、風流に跳動する睫毛の下、劫﨟の兆す明眸が憂う。女将は裾を揺し颯々と去り、体動に応ず衣擦れは、山荘の廊下に余情を引く。
「鷹匠が扱う道具は知っているか」
「鷹書を読んだ程度ですが」
「それなら十分だ。準備をしよう」
 端然たる居様を呈す鷹師は、床上に薄絹の敷布を広げ、鷹道具を鄭重に羅列す。
「ちょうど今日、もう一羽の鷹が届いた。名は春霞だ」
「春霞ですか」
「棚に鷹装束が一式余分にある。少し古い物だが、それで我慢してくれ。支度が済んだら外の鷹部屋に向かう。お前が調教する鷹を見にいこう」
 白妙な雪を壅塞する夜陰が、渾々と融和する景を眺み、鈍重な躯体を蹶然と起し、古寂びた鷹装束を纏い、冽々と月冴ゆ夜半へ紛る。

9

「鷹は繊細だ。常に変化しながら、人の心を観ようとする。精神を統一してから鷹と接するように」
「分かりました」
「鷹の体調は移ろいやすい、洞察を怠ってはならない。とはいえ、顔を覗き込むなんて野暮な事はするな。猜疑心を植え付けるだけだ」
 嶮岨な岩肌に蔓衍する苔に、煩瑣な霜柱が紛然と立ち、蓮型の鎖樋は雪に盈つ。雪天に舞う瑞花は綿羽の如く、鷹部屋へ到る蹊径に鏤む飛石に、一抹の玉塵を颯と刷き、暗澹たる余地へ卒爾に顕る。
 鷹部屋の清冷な木戸を引き、凡そ四畳半の土間の枢要に、台架と輸送箱が端厳に粛す。鷹師は嵐窓を開け夜天を晒し、楊柳の如き偃月の薄光が照り、杳々たる余地を淡く暈す。桐の意匠を凝らす輸送箱は、御鷹の天寿に盈つが如く、瀟灑な杢目と年輪を刻む。
 朧気な月華を頼り、寂然を徹す繊細な所作は、纔な衣擦れを暗晦に附す。輸送箱の蓋を外す爾後、儼乎たる御鷹は睥睨を殊に、月翳を纏い灰白の光輝を佩び、塒出の羽根は麗質を呈し、枝節に零る白梅の如く、聡慧な雅趣に富む。
 御鷹の強靭な脚を把持し、輸送箱から奉迎する途次、双翼を弄い畳込む。鷹師の補佐を諸処に受け、伏衣で蔽い御鷹を保定し、恬然たる躯体を鞏固に、鷹師の膝上に仰臥し静す。御鷹の鉤爪に帯を纏繞させ、小刀を用い爪嘴を為す須揺、犀利を誇示し黒曜に耀い、彎曲する尖端が余地を捉う。天を薙ぐ取搦を攫み、剪刀で尖を纔に切落し、爪嘴小刀の急刃を添え刪削す。暁闇を鉤裂く返籠、月輪の翳へ反る内爪、地を把持する懸爪を研ぎ、小刀と爪の擦る幽けき顫動が、黯然たる余地を一掬伝つ。
 爪嘴の爾後足革を佩帯させ、立錐の余地を残し懸爪に結い、雙方の足革に大緒を絆す。鋭眼を辿り突出する嘴は、円弧を描く鮮烈な上嘴に、雄邁な下嘴が沿う。浄慧に盈つ御鷹の喙が、平刃の切削を経て円む須臾、高貴を孕み舞上ぐ塵埃は、醇乎たる浩然の気を養う。嘴の釁隙に僅少な虚が宿り、鑢を掛く黒曜の表面は、月翳清かな小夜に艶めく。
 御鷹の山麓の如き尾羽を郭大し、鈴隠しの毛を幾許か切り、鈴板から伸ぶ鈴革を上尾に結い、其の鈴革に玲瓏たる鷹鈴を絆す。銀嶺の凛烈が躯体に凍み、鈴板に弾む鷹鈴は嚠喨と、神威に盈つ諧調を發し、泰然たる余地へ融和する。山藤の策を把持し、房の如き尖端で御鷹を弄い、御身に附す塵埃を丹念に払う。端立する御鷹の荘厳な体貌は、垂迹を経た仏神の如く、殊に秀美な仮相を纏う。
 御鷹を台架に据え、毳立つ羽毛へ冽々たる水を噴霧し、荒蕪に舞う灰燼の如き毛並は、無垢な虧月を佩帯し聚む。荘重な稟性を顕す肉色は、和煦を偲ぶ弧線を殊に、宛転たる隆起を呈す。鷹道具の佩帯を為す爾後、壅閉を貫く御鷹の嘴を開き、深紅の口腔へ肉片を捧げ、御鷹の貴き天稟を喚起させ、生彩に盈つ和魂を蘇す。
 鳩の胸肉を携え夜陰に乗じ、衣擦れをも慎む漸進の途次、聳つ御鷹は白妙の眉を顰め、双眸は肉塊を捉え慧敏に揺ぐ。御鷹は真赭の肉を鉤爪で掻き、瘢痕を附し頭顱を垂り、犀利な嘴を寄せ瞠目し、賞翫を疎み余地を眺む。殊勝な躯体を擡ぐ須臾、胸峰に沿う筋骨は豊饒に富む。
 黎明を告ぐ寒雪の表面は、雪消の皓々たる陸離を佩ぶ。嵐窓を閉じ杳乎を保ち、御鷹の精神を和ぎ霽を齎し、装具を繕い鷹部屋を去る。
「まだ食いつかないか」
「はい。一度は肉を鉤爪で捉えたので、認識はあるようです」
「そうか、強情な鷹かもしれんな」
「詰めまで数日かかるかも知れません」
「焦る必要はない、鷹の気性を読んで、ゆっくりとやれ」
 一羽の鴨が白駒池の畔を漫歩し、恰幅の良い躯体を傾ぎ、平坦な嘴で水面を揺す。
「最近は外来種の鴨を見かけるな」
「こんな所にまで」
「どこにだって潜んでいるさ。奴らは長い年月をかけて組み上げられた生態系を、いとも簡単に壊してしまう」
「外来種と在来種は、共生しないのですか」
「難しいだろうな。食物連鎖や生物間の相互利用の関係が複雑に重なり、絡み合いながら平衡を保つなか、ここに外からの浸食があると、在来種の捕食や縄張りの争いが起こり、餌を奪い合い生息地を減らす。その挙げ句、農作物を食べては田畑を踏み荒らし、生物の捕食をはじめ、危害を加えるようになり、やがては調和を失う」
「外来種が過剰に適応した場合、在来種は追い払われてしまいますね。なにか、できる事はないのでしょうか」
「見ている事しかできないさ。ただ眺め続けて、受け入れることしか」
 遊泳する鴨を眺む鷹師は、皺む面貌に瑣少の窶れを湛え、其の嗄声は脆く頽る霜柱の如く、白雪の降敷く山嶺に消ゆ。

10

 炳乎たる虧月は霜夜に皓々と、御鷹の玉体を慰むが如く、恩光が照り徳沢に潤い、地下足袋に附す玉塵は擂れ、凛冽を孕む袢天が翻る。旧套に従す椚木の台架に、武骨な健脚を御身に埋め、雪嶺の稜線に嵩む恰幅は、峡間に落つ翳の如き斑紋を纏い、玉姿に粛す高尚な双翼は、恣皆古雅の趣を醸す。台架に吊る錦の架垂を、架跨の紐で椚木に絆し、織地に扮飾を施す刺繍は、儼乎たる威光が稜線を彫り、山麓を掩う松梢は扇の如く、絹糸の綾錦は月華に和む。
 御鷹の嘴は依然堅牢に緘し、余地を瞠る眼睛は聡く、雄渾な躯体を剛毅に徹す。御鷹を仔細に眺む幾夜、禅定を経て克己へ到り、時宜に適う夜半の途次、畢竟御鷹は肉塊を召す。鉤爪が鳩の片胸を把持し、其の趾の釁隙に腫る肉塊は、寒花の罅ずが如く剥れ、頭顱を垂れ啄む御鷹が、鋭利な嘴で毟る只中、狼藉を佩ぶ生彩に盈つ。嘴爪が附す繽紛たる穿孔、捲上ぐ雑多な筋膜、引攣る腱鞘と繊維を鉤裂き、鏤む肉の薄片は散華の如く、幽暗に紊乱する余薫を掬ぶ。
 鷹部屋を去り昴揚を散じ、凝然と眺む厨の一隅、鼎俎に伏す丸鳩の死屍は、惨憺たる形骸を晒し、其の白骨が暗晦に耀い、奄々たる瞑目に哀悼を捧ぐ。

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