卒業文集の修正を親もするべき?
小6の長女から「卒業文集のチェックをして」と話しがありました。
なんのことかと詳しく聞いてみると、卒業文集の原稿を書いたので、それを親がチェックして、必要であれば赤入れ(文章の内容修正)をするということだそうです。
すでに学校で先生に3回ほどチェックを受け、「具体的なエピソードが2つあるから1つに絞った方がよい」とか、「ここはこういう表現にしたようが良い」などの修正があったとのこと。
相手に伝わりやすい文章にするための技術的な指導はありがたいです。
そこからさらに親が修正する必要はある?
知人の先生に聞いたところ、「近年は卒業文集のチェックを親にもしてもらっている。中には赤入れがたくさん入ってくる子もいる」とのことでした。
ということで、これは学校もしくは地域全体で取り組んでいることなのでしょう。(発端は一部の保護者からの声かな)
私はこれには強い違和感、まぁ反対です。
なぜなら、この体験を通じて子供たちは別のことを学んでしまう可能性が高いから。
ヒドゥンカリキュラムにより子供たちが学んでしまうこと
先生に何度か修正をされ、そしてある程度仕上がったと思ったら今後は親にも修正をされる。
この体験を通じて子供たちは何を学びとるかというと、
「自分で書いた文章は、大人にいろいろ修正をされないと仕上がらない」ということを、無意識に学んでいきます。
目に見えるカリキュラム・言語化されたカリキュラムと対比してこのように無意識に学び取ってしまうことを「ヒドゥンカリキュラム」といいます。
この「ヒドゥンカリキュラム」はしばしば潜んでいて、大人は意図していない。一方で子供たちに与える影響は大きいものです。(学校だけじゃなく、会社・組織にも存在)
卒業文集の親のチェックは、まさにこの可能性が高い。
我が家は、
「先生が直しをいれてくれてて、[長女]がそれでいいと思うんだったらそのままでいいよ」と伝えました。
直しを入れるなら丁寧な説明を
自分ががんばってつくった作品を、人の主観で手直しを入れらるのはショックが大きいものです。
「気持ちをこめて1人でつくって盛り付けまでこだわった料理を、最後の最後で勝手にいじられてしまう」
「時間をかけてじっくり考えてつくったものを、勝手に手入れされて思っていたものと少し違うものにされてしまう」
こういう体験をすると、「どうせあとで直されるから」という気持ちになって創作欲求も低下していくでしょう。
もし大人が修正をしたいなら、理由を丁寧に説明をして子供が納得感を得られるようにしてあげてください。
大人(親)だから直していい、ということは少々身勝手です。
「こうしたほうがよいと思う。なぜなら●●だから。なのでこうしてみたらどうかな?」
と説明をして、変えるかどうかの判断をさせてあげましょう。
ありがとうございます!