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ポテサラおじさんに見るコミュニティの間の対立。それは無関心が産み出している

「母親ならポテトサラダくらい買わずに作ったらどうだ?と言う高齢男性(ポテサラおじさん)」「ビデオ会議システム等を使ってリモートワークに切り替えることに反対する管理職」「せっかく新卒入社したのにすぐに辞めてしまう若者」などなど、なんでこんなこと言うの?するの?と話題になることがしばしばあります。

そういう話を見聞きするうちに、もしかして所属するコミュニティによって形成される価値観が異なり、他のコミュニティに属する人からは理解できない言動だと思われることに繋がるのでは?、と思い、いろいろ考えてみました。あくまで私の頭の中の話ですので、その点ご留意ください。

1.どんなコミュニティを考察の前提にするか

まず、コミュニティという概念がふわっとしているので、目線を合わせるために大ぐくりに「生まれた年代」「メディア」「社会で主に属する場所」「個人的関係」の4つでざっくりと整理することを考えてみました。

メディアってコミュニティなの?という疑問があるかもしれませんが、例えばメディアなら一方通行で情報を受け取る超でっかいコミュニティに我々は属している、というように考えていきます。

「生まれた年代」はひとまず10年ごとの期間で区切ってみることにしました。「メディア」は大きくマスメディアとソーシャルメディアの2つとしました。マスメディアはテレビや新聞、ソーシャルメディアはSNSと捉えていただいて大丈夫です。「社会で主に属する場所」は学校と職場としました。社会に出る前と後で分けたイメージです。「個人的関係」は細かすぎかなと思いつつ、家族や親戚、友人や恋人、近隣住民、そして自身とは異なる性の人の4つを考えてみました。

まとめたものが以下となります。

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こうやってみるとMECEとは呼べないかなり抜け漏れのあるものですが、ここでは人の価値観の形成に大きな影響を与えている、代表的なコミュニティを表しているとお考え下さい。

2.4つのコミュニティを2軸で表してみる

前述した4つのコミュニティ中で、唯一人が選べないのが「生まれた年代」なので、これを別軸として、残りの3つを同軸に置いて、「どの世代に生まれた年代が、どのようなコミュニティとの関係が深いか?」を以下にまとめました。

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「メディア」については、どの世代の人にとっても分かりやすいのではないかと思います。従来はテレビや新聞などのマスメディアが大きな影響力を持っていたが、デジタルネイティブ世代以降はソーシャルメディアから情報を得ています。既にインターネット広告費がテレビメディア広告費を越えており、不可逆なトレンドであると言えるでしょう。

「社会で主に属する場所」については、従来は小学校から大学まで学び、新卒一括採用で社会に進出し、定年まで同じ会社で勤めあげることが普通とされてきたことから、学校も職場も大きな影響力を持っていました。しかし近年では無料のプログラミングスクールなど選択肢が増え、必ずしも大学まで行く必要性はなくなってきていますし、転職はもちろん副業・兼業も広まりを見せ、これまでのように従業員を拘束することそのものに意味がなくなりつつあります。

「個人的関係」については、核家族化、未婚者の増加、少子化、都市圏への若者の集中といった要素に加え、ソーシャルメディアにより物理的距離に関係なくつながりが持てるようになったため、見た目上の個人的関係が希薄になっている傾向があります。その一方で、「男性」「女性」と明確にコミュニティが分けられてきた時代から、多様な性の在り方を理解し受け入れる考え方が広まり、その境界は曖昧なものとなってきています。

別軸に置いた「生まれた年代」についても触れておきます。この生まれた年代については、特に10~20代の時に起きた強烈な経験が今後の人生や価値観に影響を与えると考えています。1980年までに生まれた人たちは、バブルとその崩壊、そして就職氷河期という絶頂と絶望を味わっています。1990年までに生まれた人は2009年のリーマンショック前後のアップダウンに悩まされ、2000年までに生まれた人は2011年の東日本大震災を通じて自分の在り方を見つめました。2010年までに生まれた人は、まさに今のコロナ禍の中で思い悩んでいるのではないかと思います。

これらの整理を通じて感じたことは、生まれた年代は古い人たちは均質な情報や機会に基づき価値観が形成されており、生まれた年代が若い人たちは自分が選び信じたものに基づき価値観が形成されているのではないかと思いました。

3.ポテサラおじさんの話から想像する、ポテサラおじさんの価値観

では、「母親ならポテトサラダくらい買わずに作ったらどうだ?と言う高齢男性」は、いったいどのような価値観があったと考えられるでしょうか。

生まれた年代は1980年以前、高度成長期を若い頃に経験してきたと考えた場合、以下のようなことは強く認識していると考えられます。

・日々成長しているのは俺たちのおかげだ、日本は俺たちが育てた
・男は働きに出て稼ぎ、女は家で家庭を切り盛りするのが当たり
・男子や長子のほうが家庭では偉い

このような価値観を形成したコミュニティの状況も想像してみましょう。

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1980年以前のコミュニティは、マスメディア、学校と職場、個人的関係それぞれが強いと言えます。上述のような価値観は昔から続いてきたいわゆる家父長制そのものですが、戦後の復興から高度成長期の過程で日本中が活気に沸いていたということ、そしてインターネットのような自分から発信できるメディアがなかったということから、上述のような価値観が維持されやすい環境だったのではないかと考えられます。

そのような経験をした中で、出来合いのポテトサラダを手に取った母親に対して、ポテサラおじさんは家庭を切り盛りする義務から逃れようとしている怠惰な母親だ、俺が言ってやらねばと認識して「買わずに作れ」と発言した可能性があるかもしれません。

4.コミュニティ間の対立は無関心が産み出している

ということで長くなっちゃいましたが本題です笑

ポテサラおじさんは過去の経験則と現状の実態とのギャップを意識しなかっため、今のパパママ世代からすると怒りがこみあげてくるような暴言を吐いてしまっているということが分かりました。

言い換えて問題点を表すと、「自分が所属していないコミュニティの理解をしようとしないまま自分の経験則からのみで判断してしまうと対立を生み出してしまう」ということになります。

こうやって文字にするとめっちゃ当たり前のことなんですが、この問題は高齢者にしか存在しない問題ではないという点はしっかり意識しておく必要があります。

たとえば、高齢者は日々衰える身体を肌で感じながら暮らしていますが、そのことを若い人はあまり知りません。なので席を譲ったり助けたりする行動が必要であることが認識できず、結果として行動が現れないのです。

ですので、異なるコミュニティに即する人の理解できない言動を目のあたりにした時に、「ふざけんな!」と思うより、なにか理由があるのではないか?と関心を持つことが、自身が所属していないコミュニティにいる人とうまくやっていくコツではいかと思います。

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